大潮

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抜け弁天 その1-東京スピリチュアルワールド

自作小説

抜け弁天は新宿歌舞伎町から歩いて15分ほどの高台にある。
地下鉄東新宿駅近くの小さな食堂「駒ケ根」で朝7時に待ち合わせをした。実留と佳の体験からいうと、空間と時間を合わせることは重要だ。
不思議体験が8時30分だったから、朝7時に集まって朝ごはんを食べながら一日の行程説明をしたうえで抜け弁天に行くことにした。
駒ケ根は夕方から朝までの営業をしている。深夜や朝早くてもしっかりとした食事ができる。この季節、煮込んだ黒うどんがおすすめだ。店主は黒ちゃんという。黒ちゃんはここいらへんのことをよく知っているし、実留の話を真面目に聞いてくれるのだった。
経丸は保護者代わりの直さんといっしょに来るという。

経丸は神楽坂の直さんの家に3日前から泊まり込んでいた。
実留は経丸の保護者に挨拶をしなければと決めていた。
深草の通音石は、携帯電話のように話せた。
「もしもし、私よ。実留です。経丸って何歳?働いているって言っていたから高校には行っていないのかしら?ともかく未成年なんだから、わたしがお家の方に挨拶しに行くわ」
「心配してくれてありがとう。直さんが挨拶しなくちゃって言っているから一緒に行くよ。直さんは親方の息子なんだ。」
う~んと実留はうなった。どう見ても人間離れしていたあの親方の息子さんか~。
相手は人間ではないかもしれない。けど、ともかく経丸は未成年で、その未成年を東京においでと誘った大人なのだ。よそ様の子どもさんをお預かりするのだから挨拶しておかなければならない。誘った理由を話しても大多数の人に理解されないだろうから、筋だけは通しておかなければならない。

直さんの車から降り立った経丸はまっかな顔で少し照れたように実留と佳に頭を下げた。緊張しているのだろうか。口元をきっと引き締めている。白い防寒帽に背中にFと赤いアルファベット文字の入った白いスタジャンを温かそうに着こなしていた。黒のGパンと真新しいスニーカーが機敏な経丸に似合っていた。伏見稲荷で先週会ったときよりも年上で賢そうに見えた。
直さんは40代の男性だった。実留は50歳、佳は30歳だから、ちょうどその中間の年代だ。中肉中背であるがしっかりした筋肉質の引き締まった体格が頼もしげに見える。柔らかそうな髪の毛を首の後ろできゅっと縛ってある。こげ茶色の革ジャンに藍色のGパンが良く似合っている。高級そうな柔らかい革靴もしゃれている。
あの親方の息子とは思えないねと実留と佳は顔を見合わせた。
「初めまして。このたびはお世話になります。」
こういうものですと差し出された名刺には神楽坂直弼とあった。
神楽坂にある稲荷社の社主をしているという。どっちかというとイケメン起業家という方がぴったりだ。一を聞いて十を知るとでもいうような顔つきだ。
「自分も勉強させていただきます。」直さんにそういわれると実留はどぎまぎした。
自分では不思議な体験だなと思ったぐらいで、それが何かを知っているわけではないのだ。

朝食を済ませ、職安通りの坂を、抜け弁天へと上る。
抜け弁天は5差路の角にある。5差路はそれぞれ、飯田橋・四谷・新宿御苑・歌舞伎町・早稲田へと抜けることができる。
境内は小さい。池の前に4人並ぶといっぱいになる。
「伏見に似ていませんか?新宿から早稲田・四谷にかけて、このあたり一帯、伏流水が水脈を張っています。今では抜け弁天の水は枯れて水道水を流しているのですが」
関東平野のこのあたり一帯は富士の地下水が流れ出す土地だ。今でも椿山荘には湧き水の川があるし、関口芭蕉庵の裏手では富士の湧き水で西瓜を冷やしている。関東の琵琶湖と讃えられた水田では地酒「早稲田」が醸造されていた。江戸時代には荒木町に滝があったという。今でも靖国通りへ下る尾根道の家々には夏の打ち水に使う井戸がある
それに伏見の不思議話があるように、抜け弁天にも不思議な話が現代も続いている。
 
実留が美容院で聞いた話では蛇の目寿司の女将さんが「引っ越してくる前の晩に白蛇が夢に現れて、抜け弁天の白蛇だって言った」そうだ。
引っ越してきたばかりの頃、その話を聞いた実留は色めき立った。
「その、抜け弁天って、どこにあるんですか?わたしも白蛇が洞窟いっぱいにいる夢を見たんです」
「女将さんもそういってたよ。あんまりいっぱい蛇がいたので、挨拶もそこそこに夢から醒めちゃったって。それで境内に白蛇がとぐろを巻いた飾りがあったっていうんだけど、昔はあったねって皆が驚いたのよ」
わたしなんか怖くて逃げ出しちゃったんだ。早くお詣りして失礼をお詫びして仲良くならなくちゃ。そう思った実留だったから翌朝早くにお詣りすることにした。実留のはお詣りというよりも挨拶なんだけどね。
美容院の並びに抜け弁天はあった。

3年前のことだった。実留が抜け弁天の鳥居をくぐると幽玄な笛の音がした。高く低く息ぶきのようにじょうじょうと響き渡る。左手の池の奥に平たい大きな石がある。その石のあたりから楽の音はしていた。

幻聴だ!そう感じた。
この聴こえ方は自分にしか聴こえていない。
優しい音色はきっと迎え入れてくれているに違いない。
大きな樋から池に流れ込む水を柄杓で汲むと、石に水をかけた。
石が水に濡れる。
金魚たちがひらひらと尾を揺らしながら石の下に集まってきた。
石から滴り落ちた水滴で水輪がいくつも後を追い広がっていく。
輪と輪の間にどこかで見た覚えのある景色が浮かんだ。
ーこれは、江の島じゃないかな?ー
「そうだ。そうだ。」と声がした。
自分の思ったことに相槌を打たれたようで、ぴったりだった。
振り向くと、小さな女の子が母親と境内を通り抜けて行く。
「今日保育園から帰ったらシマのソーダを飲みに行こうね。」
母親が答える。後で解ったことだが喫茶店「志麻」は近所の子連れのお母さんの溜まり場になっていて、クリームソーダは子どもたちの好きなメニューなのだった。

江の島と言えば弁財天だ。久しぶりに行ってみようかな、ふと実留は思った。
音がした石をもっとよく見ようと池の縁になっている石の上を歩いて奥の植え込みへ入った。
狭い植え込みの中に黒い石が渦を巻いて敷かれていた。真ん中の石に足を乗せたとたん、実留はからだが浮いたように感じた。足の下の地面が感じられなかった。
めまいかな?と立ち止まってみると、目の前に海が現れた。実留は海岸の岩の上にいた。
「なんで?こうなるの?」
困った帰るにはどうしたらいいのかな?
そう思った瞬間、胸倉を引っ張られるようにぐらぐらとした。
倒れるのはいやだなと足を一歩前に出すと、そこは抜け弁天のあの音のした平岩の上だった。それから、植え込みの中を行ったり来たりしてみたが同じ現象は起きなかった。

実留の不思議体験は一回だけだった。
4人は植え込みの中を覗き込んで探したが黒い石は見当たらない。
直さんが土に手をあてて、「この下にありますね。」という。
皆が手を伸ばして確かめる。
経丸が「あ、本当だ流れている。」
「じゃ、乗ってみましょうか。」
直さんが抱きかかえるようにして3人を石の方へ引き寄せた。

え?という間に4人は江の島に居た。
「動かないで!このまま4人いっしょにいる場所をよく観察してください。この場所に立てば戻れるはずです。」
直さんは4人をがっちり抱きかかえたまま、つかんで離さない。
実留は首に手を回されたまま周りを見回した。

  • ホープ

    ホープ

    2014/07/25 22:19:45

    とってもリアリティがでてて、すぐ読めました。展開がワクワクしますね。