大潮

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抜け弁天 その3 江の島 金亀亭ー東京SW

自作小説

佳は黒い石のあった崖の上がどうなっているか知りたかった。江の島の頂に登る階段道を右手に回る。
江戸時代の検校の碑がある。碑の裏手から崖下をのぞくと、人が歩いているのが見える。
「もしかすると、あの黒い石じゃない?」崖下に小さく黒い石が見えた。
「あの石に乗ったら新宿に行ってしまうのじゃないの?あっ!あの人たち!」
釣り人たちが黒い石の上に乗って海を眺めている。しかし、何事も起きない。
実留は推理する。「時間じゃないかな?」
「そう、時間の道だ。それが大地の道と重なり、もうひとつの道が重なると移動が起きる」と直さんが受けて応える。
「ここに検校の碑があるということは、人間が見てはならないという暗示かな?」
「いいや、バランスなんだ。『見ない者』がいるということは『見る者』がいるということだ。『見る者』と『見ない者』その選択のバランスが移動には必要なんだ。」
見る者?と見ない者?
実留は考えた
ー自分の中に黒い石で作った紋様の道=大地の道と、もうひとつ見る見ないの選択のバランスを調整することができれば、どこからでも自分の意志で移動できるのではないかー
直さんが、驚いたように実留を見つめた。
直さんの深い藍色の瞳の奥に金銀のさざ波を映し出したような輝きが光るーぼくは何年もかかって勉強してきた。つらい修行もしてやっとたどり着いたというのに、そんなこと今考え付いたのかい!
実留の頭の中で直さんの言葉が「湧いた」。
「直さんは今、わたしに”そんなこと考え付いたんだ”って言った?」
「ああ、あなたの強い確信を読んでしまった。そして、自分の感動があなたに届けという思いが起きた」
向かい合って話す二人の邪魔にならないようにと、佳は一歩後ろに引いて落ち着いた声で話しかける。
「もしかして、テレパシー?」
「佳さん鋭いですね。そうなんです。今ふと実留さんにテレパシーを送っちゃいました。」
「いいなあああ!わたしもテレパシー感じてみたいー」
「あのね、佳、テレパシーって耳では聴こえないの。頭の中にぽかっと浮かぶ。今はとても強くはっきりと聴こえた、いいえくっきりと浮かんだ。塊になって浮かんできたの。」
「よし、佳も挑戦!三人にテレパシー!行け!」
「受け取った~!お昼だ!お腹ぺこぺこ」経丸が中腰になり胸の前でボールをキャッチした仕草で皆を笑わせた。

食事処「金亀亭」でさざえの刺身と白身の天麩羅が盛り合わせになっている金亀定食を頼んだ。
貝の風味香る味噌汁がからだを温めてくれる。
さざえのこりこりとした噛み心地が快い。白身はさっくりと軽く揚がっている。
カモメが窓すれすれに飛んでくるところへ、経丸がサザエをさしだす。
ひゅっと風をきったトンビがサザエをくわえて飛び去った。
「ああ、またトンビにとられた」経丸が成功しても失敗しても笑いが起きた。

保冷箱を肩から下げた60代の男性が入ってきた。
店の奥に指図をすると四人のテーブルにやってきた。
「よく、いらっしゃった。さっき、佐助稲荷にお詣りされた方たちですね」
4人はいっせいに立ち上がって挨拶する。初めて会ったはずなのにどこかで何回も会っているような懐かしさがある。
「おいしい生しらすをご馳走したいと思って、後を追ってきました。朝獲ったばかりですよ。昨夜、夢を見ましてね。その帽子をかぶった女の人が亀の甲羅を埋めに来てくれるという夢でね。そのお礼に朝漁にでました。お疲れ様でした。あの甲羅は13年に一回あの場所に埋めるのですが、そのためにあなたがやってきてくれた。海の営みを産む者たちが穏やかに過ごせます。」
「はい。あの、初めまして実留といいます。あなたが私を呼んでくださったのでしょうか?」
「これは失礼、わたしはこの金亀亭の主人です。金亀とおよびください。あなたは自分で音を聴き、ここへやってきた。しかも太古からの道を使って。わたしにはどなたが来てくださるかは分かりません。お迎えするだけです。」
金亀亭は、江の島が弁天を祀る前の金亀山の名を継いで店の名前にしたという古くからある宿だ。今では観光客に新鮮な魚や貝のランチが人気だ。
「通音石をお持ちなんですね」
「はい。金亀山を名乗るときに伝わったものです。めったに人の声は聞こえませんのに、今朝からあなた方のお話が聞こえました。久しぶりに心が弾みました。ここの通音石も持たれたうえに岩笛まで手に入れられた。その石に触れた人でも石を持つ力がない人の手に渡ることはありません。」
実留はおろしたての手ぬぐいに包んだ岩笛を金亀さんの前で開いた。
「わたしは、この石に亀の手触りを感じます。銘をいただけませんか?」
「なるほど、これは亀に間違いがありません。肌の薄緑色をとって、薄荷亀はどうでしょうか」
「ミントタートルですね!ステキ!」
「ミ・ミント・・・」直さんは言葉が続かず岩笛をしげしげと眺めながらそっとなでた。
「私たちが来た道のことについても教えていただけませんか?」
「わたしに解ることなら何でも。」
実留は抜け弁天の黒い石で作られた渦巻きの配置を書いた。
「この渦巻きの配置が門になっています。実留さんはこの渦巻き模様を見て何か感じられませんか?」
「深草で感じたエネルギーとは違うエネルギーを感じます。深草は泉の水のようにホワンホワンと湧いてきました。わたしが育った横浜の空気の感じに江の島のエネルギーは似ています。潮が満ちてくるエネルギーのような大きな大きな波のうねりのイメージに似ています。ですが、わたしは横浜ではこの紋様を見たことがありません。」
「この渦門は江の島に7つあります。江の島のもうひとつの門は江の島の岩屋の中です。まず、そこへ行って江の島の中で移動してみてごらんなさい。崖下の門と岩屋の門の関係が解れば新宿でも次の門を探せますよ。人の手によって壊されたり隠されたりしますから深草のように石を直せる職人がいるなら7つ見つかるでしょう。横浜は残念なことに今は動きがありません。」
金亀さんは丁寧な地図を書いてくれた。
店の人が生シラスを盛り付けてもってきた。
紺色の透き通った硝子鉢に盛り付けられた生シラスは透き通っていて新鮮だ。つるんとのど越しがよい。これもぜひと、青のりのスパゲティーがいっしょに運ばれてきた。一人前ずつ定食を食べた後だというのに、4人はそのおいしさに舌鼓を打った
「春のご馳走だね。おいしい!」

(解説)
「金亀亭」は小説の中のお店です。生シラスと青のりのスパゲティーを食べたいという方は、腰越の創作イタリアンレストラン「鱗亭」をおすすめします。湘南野菜に彩られた料理で季節を味わってください。生シラスの解禁日は3月11日ですが、漁のあった日にメニューにのります。青のりスパゲティーも季節限定です。