大潮

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抜け弁天 その5 五差路 -東京SW

自作小説

ブーンnと耳の後ろで小さな蜂がホバリングしているような、うなり音がした。
ゆらりと空気が揺れた。大きな空気に包まれたまま移動したように感じる。
抜け弁天の空気の中に、江の島の大氣をまとって実留たちは帰ってきた。
目が馴れて池の鯉が泳ぐ水の輪がはっきりとした。
実留の左手を佳の右手が握っている。右手は経丸の左手が握っていた。直さんは三人の後ろに立って佳と経丸の手をしっかりと握りしめていた。
自分たちのからだと心が存在することを確かめでもするかのように四人は手を取り合ったまま動かなかった。
経丸が実留の顔をじっと見る。実留がうなづくと、経丸は手を放した。

「ピエスで温かいものを飲もうか、おいしいココアがあるの」
午後3時を回ったところだった。
抜け弁天から北へまっすぐな道が通り、大久保通りに出る。
通りの向こうは戸山ハイツだ。日本で初めてといわれる大きなガーデン団地で13階の高層マンションが立ち並ぶ。
大久保通りに面したカフェ「ピエス」のレンガ造りの壁にグリーン枠のついた手造りのドアにほっこりとした温かみがある。ドアを開けると、調理・ホールまでひとりで切り盛りしている経営者の理沙が静かだがはっきりとした明るい声で「いらっしゃい」と迎え入れてくれた。
店内は高い天井に低いテーブルとソファーが余裕をもって置かれ拡がっている。薄手の木綿カーテンが高い天井から天蓋のようにコーナーを区切っている。カーテンを透かしてテーブルの周りに置かれたさまざまな個性豊かなソファーの向こうの窓の外には裏庭が見える。何でもない銀色のバケツが杭の頭にかけられているのがおしゃれだ。

佳は素敵に風変わりな喫茶店を一目で気に入った。丈の高いカウンターの向こうに置かれた手作り箪笥に駆け寄った。まるで小人のために作られたような大きさだ。
「かわいい!これは、もしかすると手作りですか?」
「はい、父がめいのお誕生祝いに造ったものです。めいは成人するまで使っていました。成人したのでわたしがもらいました。わたし、この箪笥が気に入っていたので。」
理沙の両親に実留は挨拶をかわすぐらいだった。喫茶店になる前のドアの前で、毎日のように二人でコツコツと手造りしていた楽しそうな姿を思い出す。
「すごいわ~。お父さんとお母さん、このお店の改装もされたぐらいですものね。」
「はい。水道から表のレンガ壁まで二人でやったんですよ。北海道から泊まり込みできて、一年ぐらいはこの奥に布団だけ敷いて寝泊りしてました。好きなんですね。考え考えやるものだから、ここまでになるのに三年かかりました。」

シンプルなシャンデリアも佳の好みだった。大きくもなく小さくもなく、ドロップ型のクリスタルがきらきらと輝いている。
「この形のシャンデリア、なかなか見かけませんが、どちらで買われたんですか?」
ココアを淹れながら微笑んで話している理沙が一段と笑顔になる。
「これね、パリに観光で行ったとき、市場で売っていたんです。私、気にいっちゃってどうしても欲しくなって。こうやって手に提げて帰ってきました。」
理沙がナプキンを片手でぶら下げて揺らした。
「うわ~、いいなあ。この年代のものが欲しいんですけど。パリですか~。無理だな」
「ははh、佳、今は無理かもしれないけど、いつか行けるよ。だって、ほら、見つければ」
「おお、テレポートでね!」
理沙が真顔で話に乗ってくる。
「テレポートで行けるなら、わたしもいっしょに行きたいな。市場は掘り出し物いっぱいですよ。それに毎朝フランスの野菜を買いに行きたい~」
「そうだ、理沙さん、ココアができたら、わたしたちの話いっしょに聞いてくれない?理沙さんならきっと理解してくれると思うの」

直さんも経丸も低いテーブルと身体が沈むほどのふっくらとしたソファーにほっとしたように座り込んで、手作りのシフォンケーキをほおばる。
白レースをかけた一人用のソファーに腰を下ろすと佳は上機嫌で飾りつけを眺めながらココアを飲む。
実留は今朝からの話をまとめて話すと、理沙に聞いた。
「どう?」
「すごい!大冒険ですね。抜け弁天は知っていたけど、そんな場所だったなんて初めて聞きました。ワクワクしちゃう。」
「そういうと思ったわ。良かった。」
実留は皆の前に広げた地図を指しながら四人に話を続ける。
「抜け弁天を中心にすると5つの場所が気になるの。抜け弁天は三叉路といわれるけど、実は五差路だろうとわたしは感じている。その五差路をすすんだ場所が気になるの。4つ目の道はどこかというと、わたしたち住民が日常に使って人間のエネルギーが動く道で、ここにある抜け弁天商店街という細い道。5つ目は北へ通る直線の道で、五差路になるというわけなのよ。
まず、ひとつ目の道。この道が抜け弁天からピエスまで歩いてきたまっすぐな長い道よ。このまっすぐな道を大久保通りを越えてさらにまっすぐな道が続いているでしょ。そのまっすぐの先に箱根山がある。つまり、直線状に厳島神社と抜け弁天北公園と箱根山があるのよ。これは前から気になっていたんだけど、厳島神社が南北に通り抜ける参道になっているから「抜け弁天」という名前が付いたという由来があるけど、この北公園は東西に抜けられるように作られているの。さっき、来るときに見てもらった公園だよ。二つを重ね合わせると東西南北をさす十字になるでしょ。そこに箱根山を合わせると渦をつくりだす山になる」
「ええっ!」「本当だ!」どよめきが起きる。
「そんなふうに考えたことなかった。言われてみたら、その通りだ。経丸そういう作り方をすることがあるのかい?」
「重ねの話は聞いたことはある。でもどう使うのかはわからない」
「もう少しわたしの話を聞いて。今、北の道を話したから、東回りに話すと、東の道は早稲田の遊水地、東南は昔、滝が流れ込んでいたという荒木町のすり鉢型谷底、西南は自然の泉が湧いている新宿御苑、西は冨士塚のある鬼王神社と、この5つの場所が気になっているの。」実留は地図に丸をつけていった。