2月自作/お題:祈り 『揺陽』
さりげなく、こちらの続きです
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◆◇◆◆
『もうここへは来ちゃいかん』
彼は何度も繰り返した。
けれど少女が潤んだ瞳で見つめてくれば、それを振り払う事もできなかった。
少女の年は十四、既に人妻であった。
山菜を採りに行くという言い訳を秋が過ぎても使い続けたせいで、密やかな逢瀬は露見された。
少女の父は『蝶よ花よと大切に、汚れた話など教えずに育てたのが仇となったか』と怒りながら、隣村の男なぞに娘を好きにさせるわけにいかぬと祝言を随分早めたという。
彼は、せめて自分が隣村の男でなければ、許婚をすり替えるだけで済んだやもしれぬ、と少女に詫びた。
そして啓蟄の頃、事は起きた。
人妻となっても忍んでは彼の元へ通っていた少女が、ぷつりと姿を現さなくなって数日の後、彼の住む峠の小屋近くで、突然馬の嘶きが響いた。まだ夜明けやらぬ時刻だ。何事かと外へ飛び出した彼は、逃げてゆく人影を追う事も出来ず、恐ろしい光景を前に身がすくんだ。
鉈で前足を切られ、血飛沫を散らしながら泡を吹いて倒れる馬と、その背にしっかとくくりつけられた、裸の赤子。馬には見覚えがある。いつもなら少女がその背に乗っているはずだった。
「惨い事を……」
彼はごくりと生唾を呑み込み、小屋から鉈を持ち出し、心の中で手を合わせながら馬の首にそれを振り下ろした。
一気に息の根を止められ馬が静かになったのを見てとり、彼は急いで赤子の縄を解いてやり、半纏の内側に包むように抱きしめた。
少女がここへ通って来なくなった理由に合点がいった。
子を孕んでいたのだ。時期的にどう考えても、夫の子ではありえない。
自分との懐妊が知れれば腹の子は生きて産ませてはもらえなかったろう。気付かなかった自分も愚かであったが、彼女がどう隠し続け、産み落としたかは彼には想像も出来ない。けれど産んだやや子を引き離されて棄てられたのだろう彼女の心の痛みは自分の痛みのように知れた。自然と、彼の目にも涙が止めどなく溢れて流れた。
それから赤子は父と共に村へ降り、もらい乳で育てられた。
……そのやや子が、私の祖父。
すっかり眠ってしまった昭光の頭を自分の膝に乗せ、里奈はその頭をそっと撫でる。
馬の嘶きのけたたましさに、何事かと駆けつけて一部始終を知ってしまった村人によってこの一連は広められ語り継がれる事となる。
里奈は幼い頃から、祖父と曾祖父の受けた酷い扱いを、祖母から聞かされ続けてきた。恨みと、呪いの想いをこめて。
だけど昭光、あなたはセツさんの膝で、曾祖父との幸せな恋物語だけを聞かされてきたのね。
昭光がセツと血の繋がりの無い事は、知り合った最初の頃に聞かされて知った。
セツ婆はどうしても 《旦那様》 を忘れられずに、夫とは子を生さなかった事、夫はやがて女道楽に走り、あちらこちらで子を生したこと、昭光の祖父もそうした子の一人であった事、ただ、昭光の曾祖母が曾祖父の選んだ女の中でも一番家柄が相応しかったので、世継ぎとして選ばれた事などを衒いもなく里奈に話した。
もし、本当に里奈が自分に嫁いでくれた時に、この家の歪んだ血族関係に恐れを抱かないよう、もし恐れたとしても、いつでもそれを理由に僕から離れてくれればよいのだと、打ち明けられた。
昭光は私に、選ばせてくれたのよね。
セツの夫が後に残した、呪いのような歪んだ血縁関係の為に、嫁げば苦労するだろうと知って、逃げても良い道を作ってくれた。
優しい昭光。
本当は私、あなたがあの家の跡取りと知って、あなたの気持ちを受け入れたのよ。
祖父が受けた仕打ちへの復讐……?
いいえ、セツさんに気に居られて育てられたという、あなたに興味が湧いたのだわ。
そして、セツさんがどんな生き様を残したのか、知りたかったのかもしれないわ。
里奈の曾祖父は育った息子を連れ立ち、村境の峠小屋に戻ったという。
そこには、何度も往来したであろうセツの痕跡が残っていた。
戸に捻じ込められた幾通もの文、庭先に置かれた数々の品。土誇りにまみれたそれを明ければ、やや子の為の服だの玩具だの。
けれどそれも、二年ほどで途絶えていた。
彼は最後の文に、また涙した。
家督を継ぎました。夫は余所に女性を作り、家の事にかまいません。
長く家に使えてくれた使用人や、先祖の為にも家を絶やすわけにはいきません。
けれどいつか、また……
そうして、自室から一歩も出ずに誰とも顔を合わせないまま、指示を取る女主人が出来上がったのだと、苦く笑いながら里奈に聞かせたのは昭光だ。
何故、自分がセツ婆のお気に召されたのか、分らないけれど、とも言った。
家督を息子に譲って隠居してからは、張り詰めていた心の糸が切れ、老いてしまったのかもしれない。その心の隙間にたまたま、失った自分の赤子を重ねるような子が現れたからなのかもしれない、などと語られた。
昭光、あなたはたくさんの話を聞かせてくれたわ。
私があなたの家に嫁いでも、驚かないように。
話を聞くだけで引いてしまうようなら、別れて逃げてもよいように。
だけど、私が祖母から聞かされ続けたお話は、残念だけどあなたには教えてあげられない。
優しい昭光。
もしも、私の祖父が受けた残酷な仕打ちをあなたが知ったなら、きっと許さないでしょう。
セツさんの血の繋がりの無いを理由に、あなたはあの家を棄てて私の所に来てくれるでしょう。
事実、何の確証もない勘だけを頼りにこんな所まで私を探しに来てくれるのだから。
けれど、それではいけないの。
あなたはもう、あの家に必要な人。
そして私は、あなたから聞かされた、セツさんのお人柄がとても好きなの。
だから、守って。
セツさんが、私の曾祖父への想いも閉じ込めて守り続けた、大切な物を全て、守って。
そして、いつか……
時が通り過ぎて、私もあなたも老いて、人としての時も止めた後でなら、もう一度触れ合える事が出来るでしょう。
セツさんと私の曾祖父が、そう願いながら眠りについたように。
里奈はそっと、昭光の頭を自分の膝から下ろした。そして彼を起こさぬよう、静かに毛布から這い出ると、服を纏い立ち上がる。
そして、いつか。
戸を開けると遠い山に白くかぎろいが燃えている。
いつか、人と人とのつまらない諍いなんて脱ぎ捨てて、完全に自由な心だけになったなら、あの遠い朝陽に向かって、飛び立ちましょう。
その先で私達、もう一度……
「触れ合えるわ、きっと」
戸を閉める軋む音に、寝ている昭光の肩が震える事を我慢して、その頬に滴を伝わせている事に、里奈は気付かなかった素振りをして、小屋を後にした。
さようなら、小さな峠の小屋。
昭光と出会って、恋をして、だけどいつか別れなければならない事に気が付いて、それなら、この場所でと、慌てて通いつめて朽ちかけていた小屋を整えた。
けれどこれが、もう最後。
あとは、ゆっくりと朽ちてゆきなさい。
セツさんと曾祖父の想いを大切に抱いて、いつか私と昭光もあの二人のように終わりの先の世界で結ばれるよう、この一夜の記憶を祈りに変えて、悲しい思い出は全て土に帰ってゆくがいい。
その日まで……
さようなら、昭光……
ちょみ
2014/03/14 13:37:25
>まゆさん
そうそう、古いつまらない因習やしがらみが
働き手の流出になるんですよねぇ
読んでくださってありがとうございました(´▽`)
まゆ
2014/03/11 22:05:31
これだから、田舎から若者が都会へ出て行くのね……
ちょみ
2014/03/06 10:17:19
>ことみちゃま
昭光君はいい夫になりそうだけど、里奈ちゃんがいい妻になりそうにないタイプなので
ふたりの結婚はお勧めできそうにありません(^_^;)
せめてきれいに別れさせようと思ったら、
里奈ちゃんが思い切り悪女っぽくて逆に気に入ってしまった感じです(マテ)
アニメはネット上のサービスでしか見てなくて、
BSまでは手を出してないんですよ~><
スカパーとかも申し込みたいなーと思ってるのだけど、
これ以上月々の負担を増やすわけにもいかず、渋々諦めております(^_^;)
ねこの島、春休み中に行けるといいなぁ(´▽`)
もし行けなくても、そのうち一人で行くと思いますよww
待っててね(´▽`)
ちょみ
2014/03/06 10:13:09
>ゆきちゃま
いぁ、皆死後に結ばれるのですよ!
もっとも、そういう来世的な観念があたしにあるのかと聞かれれば
お答えに詰まりますが(^_^;)
読んでくださってありがとうございました~♡
ちょみ
2014/03/06 10:11:37
>真珠ちゃま
悲恋のどろどろは美しいです!(マテ)
それにしても、二人とも悲恋に酔いすぎました(^_^;)
もうちょっとどっちかが根性出して引っ張れよって感じです~
でもこの二人の孫の世代くらいになると、
こういう因縁も薄れてさっくり出来婚しちゃったりするんでしょうねぇ(^_^;)
読んでくださってありがとうございました~♡
ちょみ
2014/03/06 10:08:06
>百目木さん
ヒッピーエンドくなくてごめんなさいです^^;
これ、長くなるなぁ、ヤだなぁと思いながら書いてたら、
以外にもさっくり終わって自分の方が拍子抜けしてしまいました(笑)
終わりが来ない物語というか、曾孫や孫同士という微妙な続柄で
微妙に血が濃くなってドロドロしてってしまえ~とか
怪しい事を全く考えなかったと言ったら嘘になります(ヲィ)
こういう因縁っぽいものは背後関係考えてみるだけでも実に面白……ウニャウニャ
読んでくださってありがとうございました~♡
ことみ
2014/03/06 02:40:07
悲恋で終わるとは、嫁ぐのかと思い読んでたので、切ないです。
これは続きはないのでしょうか? これで完結かな。
そんでもってBS映らんかったですか、アニメとかチャンネル見てはりそうだから見れるかと思っておりました。
ごめんなさいです、ネコの島の写真楽しみにしているであります^^ ありがたいです^^
ゆき☢しま
2014/03/03 17:03:18
どこまでいっても 結ばれない運命なのでつね・・・・><
因縁とは怖いものだ・・・・・
真珠
2014/03/02 09:04:31
悲恋が、世代をまたいでいるっ
この閉鎖された世界の中で、何度も繰り返しそうですな…
この世では一緒になれない恋、切なくて甘くて、酔ってしまいそう。
悲恋が美しいですね!!
百目木
2014/03/02 04:16:24
ハッピーエンドが来るのかな、と思いつつ読了いたしました。
なるほど、これは終わりがこない物語なんですね~
たぶん一世紀後の世界で、里奈と昭光の曾孫たちがまた、、
というか一夜の契りで里奈さんは間違いなくご懐妊した^^
そういう不死の生命をもつ恋物語であるのだとすれば、
安易なハッピーエンドは似合わない~
ちょみ
2014/03/01 22:13:02
>玲花ちゃま
強いのも度胸があるのも割り切りが早いのも、
男より女の方なんやと思いますw
里奈が達観するまでの経緯を書くとドロドロになっちゃうので
さらっと流したのだけれど、実は可哀そうなヒロインだったのですよ、
あたしの頭の中では…(^_^;)
昭光も黙って寝たフリしてないで追いかければいいじゃんねぇ、とか言ってみる(笑)
読んでくださってありがとうございました♡
ちょみ
2014/03/01 22:10:03
>かいじんさん
覚悟を決めて挑めば、たとえ人生終わった後でも
幸せになれるんだよ、という路線を頑張ったのに
こんなせんない結果でスミマセンでした(^_^;)
読んでくださってありがとうございました♡
ちょみ
2014/03/01 22:08:08
>パパりん
その漫画はアレでしょうか?
三十年以上も前から、途中長期休載を経て、今でも細々と続いていると噂の……ww
割と、家とか土地とかに縛られて好き勝手な人生ができない分、
結婚後の女道楽には目を瞑る、というおうちも
あったりしたとか、なかったとかですが…
どういう生き方が良いとか悪いとか、悩ましいです~うん、悩ましいー><
読んでくださってありがとうございました♡
玲花
2014/03/01 21:09:31
結ばれることが許されない悲恋のお話、
でも里奈さんが達観してるからストーリーは綺麗に終わってトゥルーエンド・・なのでしょうか。
自分の憂いに酔える里奈さん悪い女・・・。
そこが魅力でもあるのか、でも勝手に捨てられた昭光さん可哀相・・・。
かいじん
2014/03/01 18:56:55
逃れられない運命というのは時としてとても過酷だな・・・
おやじパパ
2014/03/01 18:26:31
捨てて下され
名前も過去も・・・・
そう言ったのはとある漫画の劇中劇の中のセリフ
日本人なんかは特に和を大切にしたりするからなかなか個を最優先できなかったりする
私もまあ駆け落ちなぞできんタイプ
どちらを選ぶのが正しいとも言えないけどね悩ましい悩ましい