木の倒れる音
台風19号がいよいよ九州に上陸しましたね。
しかし、もしそういう情報がなかったとしたら
いま現在、我家付近でも雨は降っていますが
ただの普通の雨です。
情報があるがゆえに
「ああ、これは台風のせいで降っている雨」
だと分るわけです。
さて、なにか哲学かなんかの命題だったと
思うのですが、山奥の誰もいないところで
大きな木が倒れたら、その倒れた音は
存在するかどうか、というものが
あります。
私自身は「存在する派」です(笑)
「存在しない派」の言い分としては
誰も聞いていないんだから存在しない
というモノだったと思います。
たしかにニュースなんかでもそうですが
「大きく取り上げられたニュース」は
みんなが知っているので存在して
いるわけですが、もしニュースと
して取り上げられなかったら
それは誰も知らないので
無かったことになる可能性はあります。
たとえば終戦近くに名古屋付近であった
大地震などは、誰も知らないと言っても
いいくらい知名度が低い。
当時、軍用機などを作っていたところなどが
あったため、情報統制で抹殺された地震
でございます。
どこぞのアニメの巨匠の映画でも
関東大震災はハデにやってましたが
ご存じなかったのでしょうねぇ、肝心の
軍用機を作っているところで起った地震は
スルーしてますし(笑)
ま、1つのアニメ映画に2つの地震は多すぎる
というのもあったのかもしれませんが。
つまり大きな木が倒れても
その木さえ無かったことに出来る
可能性もあるんですね。
この命題はなかなか含蓄が深いので
時々ぼーーっと考えます。
ま、考えても結局は
「それでもやっぱり音は存在する」
と、ガリレオのようにつぶやくことになるのですが(゜∇^*)テヘ
<昨夜のわたし>
ギコ君たちといつものように盛り上がる♪
さあ今日の一冊
「ちくわのわーさん」ブロンズ新社
うどんのうーやん、こんぶのぶーさん、そして
この絵本。楽しい♪
Mt.かめ
2014/10/14 09:54:52
うんうん、答えがないから面白いよねー。
いろんな考え方もあるし♪
さっきぃ
2014/10/14 09:49:15
( 'Θ')ノ いいねーw こーゆー答えの出ない事を考えるのは、好きですわー
Mt.かめ
2014/10/13 17:40:52
おっとどうもコメントが(^◇^;)
タイミングが悪くはさっまってしまいましたね♪
なかなかこういうのは奥が深くて、いろんな意見がありますね。
茶実さんはしっかり考える方なんですねぇ。わたしは表面をてきとーに
とらえているだけなので、いい加減で(゜∇^*)テヘ
茶実
2014/10/13 17:26:31
んー。でも振動とはいっても、そこは誰も見ていないわけだから
たとえば振動を与えずに倒した状態にできないわけでもない。
そう私は思うのです。
Mt.かめ
2014/10/13 17:21:27
ああ実はワタシも物体は振動派(笑)
プラトンでしたっけ?天体の回る音のハーモニーって
なんか聞いたことがある気がします♪
茶実
2014/10/13 17:18:54
ですねぇ。類推されないからといってないとは限らないわけです。
土がかぶさって見えなければないものと同じか?
土をどけて見つかれば突然存在したことになるのか?
違いますよね。
イマジネーションってわかりません。
事実=認識ではないということです。
音がしなかったという証明をしなければ、当然音が出ただろうというのは
たしかに類推です。
だから存在と音は、たとえとして適切ではないと思います。
人間が誰かに覚えていられなければ存在していなかったと同じなどというのは
本当に意識の問題だと思います。
大潮
2014/10/13 17:16:19
存在する派です
物体は総べて音すなわち振動から成っているという視点から見ると
存在します
木が倒れた音を人間が聴いていなくても
木そのものがすでに「音=振動」なのですから
木の『存在』そのものを感知できない人間にとって
倒れた音が聴こえようと聴こえまいと音は『存在』し
『存在』を認識できない人間にも
「音=振動」が起こす現象は、影響を与えます
もし、人間が
木の芽が吹きだす音や
木が倒れる音を聞けるとしたら
人間として存在できる生活を送れない
自分が存在するためには
自分が生きるために必要な音だけを選択している
存在するものの全てを常に聴覚でとらえることを自分はしていない
という認識は私にとってワクワクする認識です
木や葉に手をあてて、どんな音なんだろうと掌で感じることが好きです
Mt.かめ
2014/10/13 16:58:11
音が存在したかどうかは倒れた木から類推出来るけれども
存在を知られていない生物の絶滅に関しては類推が
不可能であるから問題ではないということかな?
そこはイマジネーション(笑)
そういえば、逆バージョンですが
山奥で確かに木の倒れる音がしたのに
行ってみると倒れた木など無いという怪異が
たしかありましたね。調べてみたら四国の妖怪らしい。
こういうの面白くて好きなんですよ♪
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E6%9D%A3
茶実
2014/10/13 16:41:20
誰も知らない生物が絶滅したということは、存在が問われることもないわけです。
存在が問われるかどうかと存在してたかどうかは関係はないです。
だからかめさんがなぜ難しいと思うのか理解できないです。
Mt.かめ
2014/10/13 15:54:59
存在するかどうか、という定義なんでしょうねー。
誰も知らない生物が絶滅したとして、その生物が
存在したかどうかというのは難しいところですよね。
人間にはイマジネーションがあるので、倒れた木があれば
その時に音がしたであろうという推測は出来ると思います。
ただ「知らないモノは存在しないのと同じ」というのも、ある程度
うなずけるので(笑)
茶実
2014/10/13 15:00:01
音は存在する派というか、今のところ存在しないという方より
存在するという方が納得がいくなぁというところですねぇ。
だって、山奥の誰もいないところといっても、たとえば動物はいたり
別の植物だっているわけで・・・。
本当に何者も音の波動を受信していないということではないと思うし
誰にも聴こえないという曖昧な条件によって事実があったりなかったり
になったりするのもおかしな話だなと思うのです。
Mt.かめ
2014/10/13 10:26:52
例えば恐竜も実はすごくカラフルな生き物だった
のではないかというのも、最近でてきてますよね。
化石などの痕跡から推測するというのもあるわけですが
そこはイマジネーションというのも必要ですしね。「ない」と
はっきり断言出来るものというのは、少ないかもしれません。
あくまでも「可能性」として考えれば、「ゼロではない」というのが
科学的な姿勢かなぁと思ったり思わなかったり(笑)
わびすけ
2014/10/13 10:20:38
アプローチする方向によっても違いそうですね。
社会学的には、無かった事にするわけには行かない、ってなるでしょうし、
科学的には、立証できない現象を認めるかどうかは難しい。
もう少し突っ込んで考えると、
相互作用の全く無い物質もしく現象は、そもそも存在と言えるかどうか疑問です。
科学は客観的と言いながら、結局は観測者の存在を抜きには考えられないわけで。
形而上的には、そもそも「意識」と言う物が本当にあるのかどうか、
証明してみて欲しいものだと思います。