恭介

鬼を名乗りて④

レシピ




暦は二月

節分が近づくと豆の匂いに釣られて

鬼たちが動き出す。

そう!あの季節が今年もやってきたのだ

年に一度の企画 鬼を名乗りて

その第4回は

雄武英略を以て傑出するといわれた。

九州のバーサーカー

鬼島津こと島津義弘の伝説について語ろう



第一章 3000 VS 300

鬼島津さんが注目を浴びるきっかけとなったのはやはり

九州の桶狭間と言われた木崎原の戦いである。

伊東氏の軍勢3000人がずんずんと南下

島津領へと大攻勢をかける。

対する島津は300人

まともにやったら勝てるはずがない

普通なら野戦はせずに篭城し、

時間を稼ぎ援軍を待つのが常套の手段。

しかしリアルバーサーカーこと義弘さんは違った。

城を発ち、野戦で雌雄を決しようとしたのである。

結果はご存知の通り、島津の計略釣り野伏せが決まって

伊東軍を撤退させることに成功した。

だがこれは勝利なのだろうか?

少々疑問が残る

一軍が機能する最低損耗率は3割といわれている。

3割の人間が死傷すると、

それを助けようとして同数以上の人間が戦力として機能しなくなる。

そうなると軍としての統制が利かなくなるというわけである。

さてこの戦いでの、島津側の討ち死にした数はなんと257人

死傷者ではなく死亡者が257人

300人の内の257人が死亡とは恐るべき数字である。

8割以上討ち死にしてるのにまだ戦闘意欲が継続しているとは

戦闘民族島津恐ろしすぎるわ!

兎に角この勝利によって義弘さんの名は大きく轟くこととなった。



第二章 20万 VS 7千

戦国一のトップブリーダー・愛犬家といえば太田三楽斎なわけだが

愛猫家と言えば、この義弘さんだと思う。

朝鮮出兵の際には、猫を同行させたことで有名だからだ。

もっとも『猫が好きすぎて一秒たりとも離れては生きていけない』とか

『朝鮮は寒いからカイロとして猫は手放せない』

という理由ではない。

猫の目で時間を知ったということなのだ。

こんなのかなりの愛猫家でなければわからないよね!

ということで次は朝鮮出兵の話。

天下は無事秀吉の下へ転がり込んだわけなのだが

彼の征服欲は止まる事を知らなかった。

「次は朝鮮狙っちゃおうかな~」

と、世に言う朝鮮出兵が始まる。

無論リアルバーサーカー義弘さんも参加する。

迎えた泗川の戦いでは、董一元率いる明・朝鮮の大軍20万を7000人で打ち破り

敵兵38,717人を討ち取ったと記録される。

強すぎるだろこいつは…。

あまりの強さに、アチラの方からも「鬼石曼子」(グイシマンズ)

なんて渾名を付けられてしまう。

そうこれが「鬼島津」さんの誕生の瞬間である。

朝鮮から撤兵の際には、

いくらなんでも後ろから叩けば勝てるだろう 

と甘い考えで襲ってきた朝鮮軍と今度は海上で交戦。

結果はなぜか圧倒的有利なはずの朝鮮軍が壊滅した。

ここまでいくと鬼島津さんが強いのではなく朝鮮軍が弱いのかもしれない。

が、他の部隊はそれなりに被害を受けているため

鬼島津さんが桁違いの化け物である!ということにならざるをえない。




第三章 10万 VS 300

段々と戦力比が酷い事になっていってますが、大丈夫か?

やはり鬼島津さんといえばこれ!関が原の戦いです。

当初、家康側の東軍に付こうと出てきたのに

少数だったため軽くあしらわれたので、怒って西軍へ付くというミラクル思考。

西軍で参加したのはいいけど小早川秀秋の裏切りで西軍は総崩れ

後方は西軍を追撃する大軍

側方は小早川の軍勢が押し寄せ

正面は東軍本体の前衛部隊である福島正則隊 その奥には家康本陣という

まさに進退窮まった状態に陥った。

さすがにこのままでは、全滅しちゃうと悟った鬼島津さん

ここでようやく重い腰を上げ撤退することにした。

「潮時だな、これより我が軍は撤退する」

「撤退するといわれましても…周り敵だらけなんですけどどっちへ?」

「どうもあちらの軍が士気旺盛だな どこの部隊だ?」

「そりゃそうですよ、あそこは家康の本陣なんですから」

「なるほどな、ここまで来て家康の顔を拝まずに帰るってのも癪だな」

「いやいや癪とかそういうのじゃなくって、生きて帰りましょうよ!」

「よし決めた! 男らしく正面に向かって撤退する!」

「え!?」

「乗り込め~」

突如、島津軍300は敵軍数万の中へ飛び込こんだ!

前代未聞の前方への退却

隊列を整え一直線に家康本陣に向かう島津軍

これが後に島津の退き口と呼ばれる脱出劇の始まりであった。


「大将! おっかない顔した集団が我が部隊に迫ってきます!」

「正気か? クレイジーすぎんだろうが!」

鬼気迫る迫力に福島隊は、なすすべなく道を譲った。

そのまま一気に家康本陣まで突き進む鬼島津さん一行。

激突寸前で、その鼻先を掠めるように方向転換、街道筋へと進路を変えた。

この行動に家康は激怒!

「ふざけた真似を……。おい! あいつら逃がすんじゃねえぞ」

井伊直政、本多忠勝ら豪華メンバーに追撃を命じる。

鬼島津さんに迫る、精鋭部隊の追撃の手!

危うし鬼島津さん!

その時! 島津軍の中から足を止め留まる者たちが現れた…。

捨て肝…それは数人がその場に留まり、

文字通り命を懸けて時間を稼ぐという捨て身の戦法であった。

1人、また1人と捨て肝となり追撃隊を足止めした。

この尊い犠牲のおかげで鬼島津さんは無事逃げおおせることに成功した。

彼が堺に着いた時には、従う兵士の数は80人あまりになっていたという。

いや、80人も残ったのかよ…。戦闘民族島津すごすぎるだろう。

生き残った家臣らは当然鬼島津さんに薩摩への早期帰還を勧めた。

しかし鬼島津さん

「大坂城で人質になっている者を捨て、どの面下げて国に帰ることができようか」

と、ちゃっかり妻子を救出してから薩摩へと帰還したという。

ただ腕っ節が強いだけではなく

思いやりも情けもある鬼 それが鬼島津さんなのだった。





これまでに紹介した鬼たち

オニコジ編:http://www.nicotto.jp/blog/detail?user_id=226561&aid=36776454

オニヨシ編:http://www.nicotto.jp/blog/detail?user_id=226561&aid=47671588

オニムサ編:http://www.nicotto.jp/blog/detail?user_id=226561&aid=54454144