脳活『為ブログ』76
天の光は平等か。<工夫><安心><混>
太陽の光は隈なく照らしているはずなのに、陽の当たる人と
当たらない人が出てくる。普通はこのように考えているが、この
考えは誤っている。多少、考え方の<工夫>がいるようである。
光や運勢は全く不平等というか、斑にしか照っていない。
自然というのは、そういうものなのだ。もともと、斑にあるもの
なのである。斑だから、等しく光を照らしてください、という願い
が起こってくるのではないか。貧富の分け隔てなく、光は輝いて
いるというのは、そうあって欲しいという願いでしかない。
もともと、自然は不平等なのだ。だから、平等にしましょうという
運動が必要なのである。この運動こそ人の理知、理性である。
天は人の上に人をつくらず。人の下に人をつくらず、というより
天の下の人の生活は凸凹だらけなのだ。だから、生活に格差が
出ないように社会制度で改善していこうという政策が必要になって
くる。光が不平等なら、人の心の<安心>感だあって、斑である。
何で安らぐかは、人それぞれ斑である。言うなれば、<混>状態
なのである。だから、癒され、心が穏やかになるよう求めている。
みき
2015/03/30 22:23:58
こんばんは。
こちらも桜が急に開いてきました。
最初の大学の入学式、4月9日だったんですけれど、そのとき、桜が満開だったことを覚えています。
最近はこちらでは毎年、4月3日くらいで満開になっています。
温暖化で暖かくなっている・・・?
今日は5分咲きの桜を、お月さまと一緒に見ながら帰ってきました。
今年もお花見はない・・・です、たぶん(^^;)