日記

kaz

ただ思いついた事です。

2359字の物語

30代以上

耳元で囁くような声がした。

「私を見つけて・・・・」

20mも先の軒先から落ちる水滴のような声だったんだ。
それは、実際に耳で聞いたのか、心で聞いたのか、わからない。
でも、たしかに 聞いたんだ。
眠れずに、部屋でパソコンに向かって余った仕事を片付けてた。
夜風がカーテンを揺らし、僕に届いた。

「私を見つけて・・・・」

僕は、あたりを見回した。
当然、人の姿などかけらもない。
居るはずもないのに、僕にはわかったんだ。

それは、きっと彼女だ。

どうしてそんなことが分かるのかさえ、解らないけど
間違いなく、彼女だと確信する。
太陽が東から表れて、雨雲から雨が落ちてくるように
彼女は僕の意識の端から表れて、心の柔らかい場所から落ちてきた。

彼女について、思い出している。
雑多でガラクタだらけの僕の思い出、その中で蛍の光ほどに光っている。
どうして、彼女が現れたのだろう、今更。


遠い昔、僕は彼女に恋をしていた。
澄み切った高山の麓を流れる湧き水のような恋。
ただ手をつないで朝の公園を散歩したり、昼休みに彼女の笑顔が現れたり
おやすみの電話がとても長くなったり、離れていても彼女に満たされていた。

彼女は、いつも空を見上げていた。
青い空が好きだった。
はるか上空を旅客機が横切って、真っ直ぐにスカイラインを残していく。
切り分けられた青空がひとつになるまで、二人で眺めていた。
真っ白いラインは、おぼろげになって、やがて霞んで、消えていく。
「ねぇ、また空がひとつに戻ったよ」
 「雲が掛からなければいいね」
嬉しそうに僕を見つめて
「いいの。雲の上は、いつだって晴れてるんだから」

二人で京都の神社へ行った。
彼女が好きだった南禅寺。
そこから、銀閣寺へつづく哲学の道。
春の桜の季節、秋の紅葉、誰もいない夏の夜明け前。
僕らは何度も哲学の道を歩いた。
小道ではいつも彼女が先を歩いては、並んで歩ける道の手前で振り返る。
いたずらに目が合うと、彼女は決まってこう言った。
「ねぇ、あなたはもう月に帰ったほうがいいんじゃない?」

僕は竹から生まれてきたわけじゃないんだけど、言葉を返す。
 「でもまだ迎えが来ないんだ。」

彼女は僕の左腕に絡みながら
「じゃあ、仕方ないから一緒に歩いてあげるよ。」

彼女に絡まれた左腕、ずっとこうしていたいと考えた。
 「僕の仲間は、もう僕のことを覚えてないかもしれない。」

小さな頭を僕の左肩に寄せて、僕たちは寄り添い歩く。
「私が覚えていてあげるよ。キミが月に帰った後も、ずっーとね。」

小川にかかる小さな橋の上で、真剣なまなざしで答えた。
 「下弦の月の夜、晴れていたら、きっと思い出してね。」
「忘れないから」



夏が終わって、斜陽が伸びたある日、彼女は消えた。
僕の日常から、彼女は消えてしまった。
電話していつまでも呼び出し音だけ聞いてた。
彼女の家は誰も居なくなっていた。
僕は、彼女の生まれを知らなかった事にはじめて気付いた。

僕は一人で彼女と歩いた道をたどっていく。
公園のベンチで、一人で腰掛けて空を見上げた。
秋のいわし雲がベールのように空を覆っていた。
いわし雲は、そこに居座って、いつまでたっても晴れることはなかった。
どこにいってしまったんだ。
どうして、どうして、どうして。
ずっとベンチに座って、理由を探していた。冬の野良猫みたいに。

彼女が消えて、何ヶ月も経った寒い日曜日。
僕は、泣いた。
昼前に目覚めて、顔を洗って鏡を見た。
僕の左目から、一筋涙がほほを伝っていくのが見えた。
泣いてしまうと、寂しさや刹那さや恋しさやいろんな感情があふれてきた。
鏡の前で嗚咽した。
ひどい日曜日、全てが終わった日曜日。

僕は、彼女のものを全部ダンボール箱につめて捨てた。
歯ブラシ、化粧品、お気に入りのタオル、おそろいのマグカップ
全てのものに、彼女の言葉やしぐさが残っていた。
クロゼットの扉やドアのノブにまで。

次の週、僕は知らない町へ引っ越した。
荷物なんてほとんどなかったから、あっという間に終わった。
趣味の悪いカレンダーを机において、聞いたこともない音楽をかけた。
大好きなドリップしたモカコーヒーもインスタントに変えた。
全てのものから、彼女を消し去って、耐えた。冬の野良猫みたいに。

暑い夏が来て、あっという間に秋が終わって、とても寒い冬が来て、
僕の中には、僕だけが白いベンチに座っていた。
部屋の隅で、膝を抱えて座っていた僕の定位置に、大きなアジアンタムを置いた。
久しぶりにカーテンを開けたら、部屋に陽だまりがあることを見つけた。

そして、完全に彼女は消えてしまう。



卒業した小学校をいつも思い浮かべる人はいない。
しかし、唐突に聞かれても、必ず答えることが出来る。
忘れることがない出来事。
それは人生の一部だからだろう。

「私を見つけて・・・」
突然消えてしまいそうな弱々しい声が僕の耳元で囁く。
僕は、彼女の声だと確信する。

「キミはどこにいるの?」
声に出して言ってみて、彼女の気配を探ってみる。

だけど僕には彼女の気配など感じられるようなものなど残っていない。

今では半分になってしまったアジアンタムを見つめる。
消えてしまわずに、ただ、そこで僕の変わりに座っている。
開け離したカーテンの向こうに夜が広がっている。
静寂に包まれた夜。
窓を開けて、夜空を眺めて、月を探した。

やはり下弦の月が、ぽっかりと口を開けている。
「月に帰るのは僕じゃなかったの?」

誰も何も答えてくれない。
今夜は野良猫さえ、姿も見えない。

僕は、もう見つけられないよ。
もう何も残っちゃいないんだ。
気持ちのかけらですら、磨り減ってしまったんだよ。
それほど、永い時間がキミの上に積み重なったんだ。

夜のテラスで、下弦の月をずっと見ていた。
時折、雲が覆って隠してしまう。
僕は耳を澄ましてみるけど、声は聞こえない。
いたずらな声は、春の夜にそよ風に乗って僕に届く。

  • kaz

    kaz

    2015/04/14 23:16:00

    そして僕は、元々の僕を探している。
    クールで、2枚目半で、やさしい僕。
    僕が、僕を見つけたら、彼女は、僕を見つける。

    だといいなw

  • さ~しゃ

    さ~しゃ

    2015/04/14 20:05:30

    そうか…見つけてほしいのは、「僕」なんだね…。

    辛い時には文章にも暗闇が漂います。
    私も結構色々書きました^^;
    逆に言えば、今しか書けない文章かも知れないですよ^^

  • kaz

    kaz

    2015/04/12 23:56:28

    しゅうさん、コメントありがとう。

    きっと、「僕」が、彼女に「私を見つけて」欲しいんだ。
    僕が「僕」に、囁いたのだろう。

    人間の深層心理ってすごいな。
    意識というものは、自分に語りかけてくるんだな。

    「お金を貸して」とか囁かれたら、どうしようw

  • kaz

    kaz

    2015/04/12 23:40:38

    さ~しゃさん、コメントありがとう

    なんだろうね、「私をみつけて」って頭の中に浮かんだんだ、突然。
    そこから書き出したら、こんなんになっちゃったw
    やっぱり、なんだか、ちょっと、病んでるw

    なんだか何を書いても、悲しい文章にしかならないな。

    人間って、忘れたくないことは忘れてしまうのに
    忘れたいことは、忘れられないようになっている。

    「私を見つけて」と願うのは、他でもない「僕」なんだろうな。
    彼女の中で、小さくてもいいから光っていて欲しいんだろうな。

  • しゅう

    しゅう

    2015/04/12 22:13:46

    見つけてほしいのは。【僕】の方に感じます。
    【僕】を見つけられない。【僕】の声。

  • さ~しゃ

    さ~しゃ

    2015/04/12 21:48:06

    喪失の物語ですね。
    叙情的で物悲しいです。
    私を見つけて…とは、私を忘れないで…ということなのでしょうか。
    忘れないでと請うのは、やがて忘れられることを知っているから…ですよね。