ありふれた日々 #11
居心地の悪い経営会議が終わり会議室を後にした藤原は営業本部長に呼び止められた。
部下である自分があのような形でプロジェクトを外された事に関して怒り心頭で罵声の一つでも浴びせられるだろうと覚悟したがなぜか本部長は笑顔だった。
なぜが声を潜めて耳打ちしてきた。「藤原君今回はつらい立場にさせてしまったが、君の判断は支持するよ。通信販売を立ち上げて既存顧客と敵対する様な策は愚行だという私の意見を慮った内容だったねぇ。大したものだ。まさかプロジェクトを遅延させて抗議するなんて手段は思いつかなかったがね。はっはっはっ。社長に人選を頼まれたときに君のところの部長に頼んで正解だったよ」
藤原は愛想笑いを浮かべ「どうも・・」とつぶやいたが営業本部長の目線はもう藤原にはなく、先を歩く社長を見ながら藤原の肩を2,3回たたきながら上機嫌で去っていった。
営業本部長は今回の一件でプロジェクトがとん挫したことを喜んでいるらしい。もともと乗り気ではなかったというところか。すっきりしない気持ちを引きずりながら自分のデスクに戻った。
部下たちが一斉に顔色を窺っているのがわかる。黙っていても仕方ない。
部下には「プロジェクトは中止だ。」とだけ告げた。
部下は思い思いの反応をしたが、小さくガッツポーズをしている者もいた。
「これで余計なことに時間を割かれないで済みますね。」
「どんな方法で社長を説得したんですかー?さすが課長ですねぇ。」
なんなんだ?営業は全員そろってプロジェクトに反対だったということなのか?何か知らないが結果的にその意に沿ってしまったのだからそれほど落ち込む必要もないじゃないか。あえて身を切って社長の愚行を止めた英雄ってところか?なんだか気分がよくなってきた。軽口でもたたいておくか。
「だろー!突然通信販売なんてなぁ。一応社員として考えれる限り考えましたってのを資料で説明したよ。社長もそれほどいい策じゃないって理解できたんだろうな。」
「さすがでーす課長―。あはは」
これでまた平穏な仕事に戻れる。安堵して商談に出かける準備をはじめた。
1時間後、藤原は付き合いの長い得意先のバイヤー武本と商談をしていた、と言っても特にスーパーの棚替えも起きないこの時期での訪問は世間話的な情報交換に過ぎないのだが、元々この武本は藤原の会社からヘッドハンティングで現在の大手高級百貨店へ引き抜かれた元上司なので藤原は足しげく通って親交を深めていた。新店舗のオープンに関しての祝いもしてそちらでさらに棚を増やしてもらいたいものだ。
「藤原君もずいぶんやり手になったねぇ。私が御社にいたときはまだまだひよっこだったがね」
「ええ、武本さんには随分お世話になりました。おかげでここまで実績が残せるようになりました。」
「ははは。君もそういうことを言いうようになったんだね。」
武本は大仰に笑いながらまんざらでもない様子だったが、急に真顔でうつむき加減に藤原の顔のそばに自分の顔を寄せて小声で訪ねてきた。
「ところで、お前の会社の業務推進部の横山ってしってるか?」
横山・・・聞いたことはある、なんでも社内のシステムや原価計算に長けていて営業マンが欲しい情報もそう簡単には開示しない厄介な奴だとか。管理系の人間は経理でもどこでもそういう輩が多い、会社の最前線である営業の経験もないくせに何かと難癖をつけてくるのだ。
「ええ、聞いたことはあります。なかなかの厄介者みたいですね。どうせ実務を知らない若造なんでしょう?何かご迷惑をおかけしたんでしょうか?」
「何を言ってるんだ。迷惑どころか私は彼に何度も助けられたよ。こうして属する会社が変わってしまって彼に教えを乞うこともできにくくなってしまった。彼は元気にしているかな?」
藤原は衝撃を受けた、しかも自分の恩師でもある武本がリスペクトしている横山を知らぬこととはいえ悪く言ってしまったことに焦りも感じた。しかし横山は30過ぎ、武本がもう50を迎えていることを考えるとこの両者の関係に興味を持たざるを得なかった。
「あの・・・横山君というのは武本さんが教えを乞うようなものをもっているんですか?」
武本は日が落ち始めた窓の外を眺めながら背もたれに身を預けながら感慨深げに話し始めた。