脳活『為ブログ』305
自分という型紙。
服を作る時に型紙があれば、簡単に裁断できる。体形は違うようで
共有できるものがあるので、既製服というものが成り立つ。着ている
内に体になじんでくる。まるっきりサイズが違えば、これは返品しか
方法がないが、ある程度の範囲であれば、順応できる。これは新品の
場合だが、他人の服をもらっても、修正が可能である。リサイクルの
ショップがあるのも、再生、再活用を最大限に生かそうとしているから
だろう。
型に嵌まりたくないという意固地な人もいることは確かである。個性
とは型なのか、と思いたくなるが、型と個性の関係について考えてみる
のも面白いかもしれない。個性を完全なるバラケと規定してしまうのか
どうかである。ある意味、個性は錯覚かもしれない。他人とは絶対に違う
と信じているだけで、案外似たり寄ったりなところをウロウロしている
のではないだろうか。
ニコッとのブログを読んでいても、類似パターンを感じることがある。
個性的であっても、傾向として類似傾向が、似たもの要素が多数ある。
それでも、他人と同一にされたくない。自分は自分でしかない。この信念
を堅持したいという人が大半だろう。それは肉体が個体として独立して
存在しているからである。この分離、独立心が個性の底流にある。
夫婦は他人との同居であるというのは正当な論である。一つ屋根の下
で生活していても、永遠の平行線なのだ。時々、捻じれるが、直ぐに
元に戻ってしま合う。やっぱり、個性は孤独愛なのだろうか。他人との
交わりというのは、何なのだろうかと、考えてしまう。
アメショ
2015/12/05 09:12:43
読んだ。私詰まんない奴です。マニュアルで、いいです。48歳で、思うに、フランス文化なのかね。結局。
みき
2015/12/04 20:29:16
こんばんは♥
金曜日です。
明日はお仕事、午前中だけです(^^)v
お天気もいいみたいなので、帰りちょっと寄り道してこようかなって考えてます。
母のいお誕生日がもうすぐなんです。
母はケーキよりも和菓子が好きだったから、ちょっと買ってこようかな、なんて。
でも、母の「私に買ってくるのを口実に、あなたが食べたいんでしょ?」ってツッコミが聞こえてきそうですけれど(笑)
あはは(*^^*)