脳活『為ブログ』368
諦観と忘却の畑に種を播く。
逆も真なりという言葉がある。人の行かない道を行くという策もある。認知症の検査に学校のテストのような実験をしているが、これは反対である。そもそもテストが嫌いである。もの心がついてから、テストで良い思いをしたことがないからである。高齢者になってまでテストをしてもらいたくない。
年寄りのような諦観じみた言い方だ、と十代の頃から言われてきた。僕は勝ち負けで生きてきたのではないから、アイツには負けたくないという勝負心をもってこなかった。理由は簡単である。一番になったことがないから、順位にこだわってこなかっただけである。他人には闘争心がないように映るのだろう。覇気のない子であった。諦めは、あっさりと忘れるということである。いつまでも、こだわって考えないことである。アホに慣れることだ。自覚したアホ、バカを通してきた。
若年から、物事を良く忘れてきたから、後期老年にさしかかってきて、今更、記憶のブラッシュアップをしなさいと言っても、これをテストで試してもらいたくない。忘れることが、そんなに悪いことなのか、不思議でならない。生活の基本を踏まえておれば、気まずい事柄は、さっさと忘れて気分をフレッシュアップする方が精神的に健康なような気がする。それに日常つかいもしない熟語や漢字をテストしてもらって百点満点だと自負するのが、認知症対策になるのだろうか。
私は記憶の再生よりも、思考能力の向上に挑戦したい。何かを創作したいとか、新しい方法を考えてみたいという意欲を大切にしたい。過去より現代から未来に比重をおいて考えていきたい。過去は反省と教訓の材料になればいいのであって、未来への肥やしである。気まずい過去はすっかり忘れて、明日の生活に役立つ、参考資料にしたい。忘れたことが必要になれば、その時に調べたらいいのである。
備忘録や日記、図書館で新聞の縮刷版を見たらいい。過去は、その気になれば、手繰り寄せることができるから、過度に忘却を恐れるなと言いたい。
アメショ
2016/02/07 14:22:15
正直、20代に戻りたい。父親も居た。彼氏いないの?とかも、ウルサかった。TVも、楽しかった。
今、欲しい物販、全部、持ってた。が、占いでは、良くない時期だったんだって。????。
あき
2016/02/07 12:00:31
逆も真なり。この言葉は知ってたよ。
↑あたしには珍しく?(笑)
過ぎ去った過去はどうにもならないけど。
そういった経験から学ぶことは多いよね。
これからの人生の道しるべになったりも。
だけど、過去に縛られたりはしたくないな。
今回は改めて、そんなことを考えさせられましたわ(*^^*)