脳活『為ブログ』370
美意識について。
奇麗になりたい。美しく生活したい。美に対する憧れは、何時から持つようになったのか。人類固有のものなのか。植物だって、自分を美しく見せるために花をさかせているのではないか。花や魚は喋らないから、本当のことは分からない。しかし、実は人間様には聞き取れないが、花も魚も言葉を持っているのかもしれない。人は自分を基準にして事物を把握しているが、人が感じる感性以外にも、交流する手段があるのかもしれないのだ。だから、人だけのスタンダードで自然を裁断することは独善かもしれない。
美意識を考える場合、偏った独善が問題になってくる。化粧したり、着飾ったりする時に他人に「これどう。似合っている。」と聞くことがある。これは聞くというより自分の選んだ美に同意を求めている訳である。専門のコーデネーターの選択は職業的な押し付けかもしれないが、依頼者はプロが選んでくれたという理由で自分の好みを投げ捨てて、直ぐに納得し、合意してしまう。
美を考えるならば、美しくないものも同時に検討しておく必要がある。美しくないものとは、すなわち嫌いなもの、嫌悪するものである。納得できないものも、嫌いなもののジャンルに入る。これは一種の排斥である。選択する時、好きなものをなかなか決められない場合、まず、嫌いなものを取り除いていく方法がある。残ったものが自分のお気に入りに近いものになってくる。
物を選別するのは犯罪になるわけではないが、人を選別するのは非常な危険をともなう。人は簡単ではない。それに好き嫌いを鮮明にすべきではない。不細工な顔であっても愛嬌があれば、美しい。性格にしても、考え方にしても、除外は出来ない。こう考えると、人であっても、物であっても、美に対して固定観念を持つことは危険である。好き嫌いの選定はタイトロープなのである。間違えば、転落してしまう。
アメショ
2016/02/11 11:59:04
50歳目前での「美」の答えは、そのものの、素の機能の活性化なり。
みき
2016/02/09 20:17:57
こんばんは。
今日はちょっと暖かかったでしょうか?
さて。
急ですが、明日、当直になってしまいました(T_T)
そんなわけで、明後日の午後、帰ってきます。
明日はニコにインできないかもしれませんけれど、心配なさらないでくださいね。
インフルエンザ、今になってまた流行りだしたみたいです。
どうぞ、お気をつけて・・・
あき
2016/02/09 14:05:06
美意識かぁ。
あたしには無いな(笑)
女捨ててるかしらね(^∇^)
つか、それも心を病んでからなんだけど(⌒-⌒; )
18歳の時以来、オシャレにも気を遣わなくなりました。
とりあえず社会人してた若い時代は化粧したり?
洋服もそれなりだったけど。
気づけばスッピンでラフな姿。
そうなって十数年が過ぎ去ろうとしてる今です^^;