ススキノが俗称だとは知らなかった。
本州から知人が遊びに来ると「ススキノ」に行きたがる。
私がボトルを入れている店はマスターが兎に角お世辞やひとあしらいが
上手な「オカマ」の店。
後は若い時に仕事場の先輩に連れて行かれた店。
知った店で無いと不安なのがススキノ。
バブル後に店の入れ替わりが早く
それらの店も今はどうなっているのか解らない。
強引に店に植物を置けと言う男とけんかした事が在る。
店の前で腕組みして阻止していると
白いコートにサングラス、手袋も白でオールバックの
イケメンがやってきて、私の阻止されたお兄ちゃんを
殴って蹴飛ばして罵倒している。
で、店の前で阻止しているのが中年のおばちゃんだと
解ると唖然としていた。
で、其のお兄ちゃんと今度は交渉。
「置くなと言って居ない。
私の質問に答えろと言っているのだ。
私は幾つもの植木鉢を枯らしてしまった。
此れはどう言う手入れの仕方を教えて欲しい」と
詰り何気に私が植木鉢の水の上げ方とかをきいたら
酷い態度に応対を其の植木鉢を持って来たお兄ちゃんがしたので
カチンときた私がプロなら其の程度の事を教えてくれても良いだろう。
何なのだ、其の横柄な態度は其れが客に対する態度か!
責任者を呼べ!」とやくざが「みかじめりょう」をとる
やり方だとは知らないでトラぶったのだ。
で、携帯電話で呼び正されたのが其の男。
とても「植木屋」に見えないが、
「植木屋」だと信じている私はたまたま休日だと思った。
「何、此れからデートかい?透かした格好する前に
店員の接客態度のしつけがなってない」的な文句を言った。
で、私は此れまで幾つもの植木を枯らしている。
其れでコツを聞きたかっただけ。
プロなら此の植物名とどういう管理をすれば良いのかを
教えて欲しいと言ったら「どけ!とかうるさいとか!」
そんな対応は無いでしょう。とカンかんになって言った。
最初きょとんとしているので「あのねぇ植木屋さん」と
最初から最後まで何を言っても「植木屋」扱い。
私も興奮しているので「穴が開く」とかの意味が通じない。
植木を扱う事はエプロンもぼろぼろに成るほどの
大変な仕事だと言っている様だと思った。
で、大きなため息を其のイケメンはついて
其れから其のお兄ちゃんに此の店は後回しにしろと言って
私の前から去ろうとする。
尚も食い下がろうとする私に一言。
「プロの植木屋は簡単にコツは教えない」的な事を言って
其の言葉で納得させられた涙目の私を残して行ってしまった。
後からススキノのやくざの「みかじめりょう事情」をきいて
穴が開くのはエプロンでは無くお腹の事だったらしいと。
其の後に其の店から「余計な事をするな」と
「二度と此の店に来ないでくれ」と言われて
しょんぼりと降りて行くと少し行くと植木を沢山いれた
小型トラックが・・・。
で、其のお兄ちゃんが植木を持って降りて来たので
気になっていた一言。
「どうして軍手をしないの?軍手を履く事を禁じられているの?」
知人が花屋をしていて、素手で繊細に扱う事。
冬はあかぎれが酷い事。等を聞いて居たので
運ぶ時も素手を強要されているのかと疑問に思ったので聞いて見た。
「二度とこの辺をうろつかない方が良い」との事。
店は追い出されるし、惨め思いでススキノ交差点まで
歩いた思い出を思い出した。
もっと昔、私の主治医?の診療所がススキノに在った。
札幌で名前の知れた小児科医だが、
近所の病院で休日に真冬のブリザードの中を
毛布と何だかでぐるぐる巻きにして中腎炎にかかって
痛くて泣いている私を負ぶって行ったのに断られてから
母は其の札幌で有名な名医を往診を頼む事にしていた。
で、それから其のススキノの病院は
小児科の年齢を過ぎても熱が下がった後に通っていた。
で、制服を着て昼間のススキノを歩く私は有名人。
其処の病院へ通っていると言うだけなんだけどね。
訳を聞かれて休日にどこの医者も往診を断ったのに
高熱と痛さで苦しんでいる私の状況を聞いて
来てくれてから此処の病院を主治医にすると親が決めたと
答えた。
で、顔を覚えられて何となく私は「まっすぐ帰れよ」とか
「また熱出したのか?」とか、呼び込みのお兄ちゃんや
開店の準備をしているおばちゃんに無事にススキノの
交差点に着くまで目で追われていた。
ススキノの交差点に在る電車に乗って帰るので。
後で知った事。
私の家は高い治療費を払っていた。
通常の倍。
そして保険書も無く、治療費も無く、骨の様な体の
女の人の栄養注射代とか、その他の治療費を我が家の
私の治療費から出ていた。
其れをススキノの人達は知っていた。
でも、あの時着てくれなかったら私は死んで居たかも知れないので
母は私の命の恩人と言っていた。
本当に困っている人の為にお医者さんで在る事をモットーとしていたそうな。
そんな医者が居たのもススキノだった。