ごま塩ニシン

脳活日誌550号

日記

  今朝は凪状態。

 風が全くないのも暑苦しさが倍増する。庭木の梢の葉っぱが静止したままである。セミの声も少なくなり、どことなく弱弱しい。季節の変わり目を感じさせる。暑かった夏の盛りを過ぎると一年も後半戦に入る。衣料品の売り場では秋物、冬物への品物の置き換えがなされる。これから経済はどのような方向に動いていくのだろう。

 今朝のニュースでは世界貿易の取引が前年度より減少したと報じている。日本は東京五輪に向けて、オリンピック投資が増えていくだろうから、こんごの経済動向が 注目される。おそらく極端に悪化することはないだろう。むしろ、日本以外の国の経済動向が、日本にどう跳ね返ってくるかである。なるべくマイナス要因にならなければいい。身勝手な言い方だが、日本は赤字国債という大きな負の重荷を背負っているから、なるべくなら平穏無事に2020年を迎えたいだけだ。

 天変地異もこの先10年間くらいはないことを願っている。では、20年ないし30年先はどうなってもいいのか。そうではない、物事には願い事の見通せる範囲と言うものがある。地震や台風、竜巻は防ぎようがない。来るだろうという予測がつくが、どのような範囲で何時、襲来するか、これは分からない。熊本地震がそうだ。伊方原発が稼働して、もし災害による事故が起こって、第二の福島になれば、それこそ大事件になる。しかし、原発の場合、人為の判断でなされたものであり、これは稼働させた、もろもろの人間に責任がある。プルトニュウムを燃やす夢のサイクルなど一種の手品である。それをあたかも永遠の未来像として宣伝するのは、昔の大本営発表を想起させる。

 風のない凪は暑いが、静かに現状を考え直す、いい機会かもしれない。