ごま塩ニシン

脳活日誌551号

日記

   人生は流れに浮かぶ小舟。
 舵取りは自分でするしかない。どこへ向かうか。自由なようで自由でない。流されている。歴史の流れ、社会の流れ、周辺の人の流れ、自分の感情の流れ、無数の流れの中にある自分という小舟。舵をしっかり握って、前方を見つめているのだが、方角が、どうもはっきりしない。遠くまで見えているが、方角を見定められない。ある意味で漂っている。

 仕事はしっかりしているつもりでも、なんとなく手ごたえがない。これでいいのかという不安がある。確信をもってできることは、そんなにない。自分がこう思っても相手の有ることである。どこかに折り合いを見つけて、事を処理していくしかない。
一歩前進、二歩後退というのも、こうした状況をいうのかもしれない。勢いにはまって墓穴を掘るよりか、考えてゆっくり進むことである。

 先を急ぐ必要もない。柿は熟せば、自然に落下する。熟成を待つしかない。発酵という戦法である。待つ時間、心の空間を有効にしたい。慌ててスマッシュしてもアウトになれば、焦りに繋がってくる。しっかり、流れを認識することである。絶望していても良くない。諦めても良くない。タイムリーは無心になって生まれる。計算できるものではない。偶然の偶然が織りなす、勝利の女神みたいなものである。

 生きるのも欲である。食べるのも欲からくる。欲なくして人は成り立たない。欲あっての人生だ。欲も流れの中にある。渦巻く欲の中で泳いでいる。これでいいのだ。すれ違い、ぶつっかりあい。これらは欲の波のようなものである。