友達ってなんだ
「友達」の定義は人それぞれだ
ココログで「友達」になってニコタに誘ってくれた「友達」と
最近、友達解除した
長いつきあいだったので決断には時間が必要だった
人見知りする自分にも付き合える世話好きな人で
友達付き合いしてきたが
ブログに掲載される内容を立て続けにいくつも許せなくなった
「どうしたの?」と聞いてあげられるのが友達だと思う
それがわたしにはできなくなった
これまで相手のブログに、人権無視と感じてきたことがある
合成で作られた黒人差別を煽るサイトの紹介などがあったときは
これは合成じゃないか?などと情報をシェアしてきた
この優しい世話好きな人が
非人道的なインターネットサイトをおもしろがるなんて
なんでだろうという純粋な気持ちでいられた
そういう気持ちが切れてしまったのは
都知事立候補者への高齢,病者差別を煽るブログだった
そのうえに投票できる立候補者がいないから選挙にいかないという
これは特定政治集団の浮動票対策を行うインターネット攻撃に似ている
いや、マニュアル通りじゃないか
「友達」が、なぜ、そうしたのかは知らないが
「どうしたの?」と聞いてはいけないと感じた
相手方のブログにコメントをいれ、
距離をとるために「友達解除」を伝えた
二日前、ショックを受けたことがある
16歳の男の子が殺された東松山の都幾川殺人事件は
同じ高校に通う友達同士で起きたことを知ったからだ
その高校の近所にわたしは住んでいて
時折見かけた子が被害者だった
話を聞いたあと、まさかと嫌な予感がしてインターネットを検索した
加害者も同じ高校に通う子だった
それじゃ、あのいつもいっしょに群れていた子どもたちの
何人かも今頃は眠れぬ日々を過ごしているだろうか
(削除:痛ましい事件が目の前で起きていたことを知った)
「友達」とか
「仲間」とかが
苛め合う、殺し合う、そういうものになっている
リアルの友人とそのことが話題になって
「仲良しの友達」という言葉にひっかかりを感じた
彼女とわたしは共通の知り合いだったSKがいた
彼女はSKを「仲良しの友達」と呼んできた
SKが死んで8年ほどたつ今、
「この人もSKと仲良しの友達だったのよ」
とSKを知らない人にわたしとSKの仲を説明した
わたしは
「信頼しているが仲良しの友だちではない」
と、線引きする必要もないのに表現した
自分のことをいうならともかく
人のことまで人間関係を枠の中にくくらないでくれ
という気持ちがあった
彼女たちの付き合いは、
「違いは認め合って話せる友達」と言える
素晴らしいものだ
わたしとSKは会社の同僚でもあったから
好きなことだけを付き合える彼女とは環境が違った
SKは一人住まいだったが、
結婚しているときに
夫婦で入っているグループのなかで恋をした
相手も夫婦で入っていたそうで
グループのなかで大問題になり
人を変え、場を替え何回もいくつもの話し合いが行われた
そのなかで、SKは女が女を傷つける言動を許せないという体験をした
結局、恋人は元の家族と暮らすようになったと聞く
SKも恋人もその仲間(SKの離婚した夫も)も
所属するグループを大事にしていた
その後、抗がん剤治療で入院したSKは
「わたしが死んだら、お墓には真っ赤なバラを一本だけあげてほしい」
と遺言した
毎年私は薔薇の花を持っていく
すると、一本だけの薔薇が供えてあり
毎年一本づつの薔薇が時を違えてそろう
そのもう一本の薔薇をもってくるのが
別れた恋人だと何年かしてわかった
(削除:きっとSKが恋人に言ったのだろう)
思想で結ばれた強い恋だったと思う
SKは「自分は左翼の女だ」と宣言しなければならない立場に立たされていた
そういう本音を語るSKにわたしは気を許していた
15年くらい前だったか、SKと山登りをしたあと、温泉に入ったときだった
温泉の目の前は深い谷川が流れていて
濃い緑の向かい側の崖の上に
小学校が見えた
SKはいっしょに行っていた登山のメンバーたちに聴こえないように
わたしに囁いた
「ね、あそこ見て。あれ、わたしが小さい頃住んでいた家だわ」
小さな小学校の脇には人家がいくつか建っていた。
父親が校長をしていたというから社宅というものになるのだろうか
その温泉から見えるとは思っていなかったSKは
思いもかけないものと巡り合った気持ちで高ぶっていたのだろう
そこに住んでいたよりも幼い頃の山奥の家の話もしてくれた
風雨ともなれば東京へ出るのが今でも大変な山里に生まれて
自然の厳しいなかで手で水を汲む生活をしていた祖母や母の生き方
そこから貧しい人間として声をあげてきたSKの原点を話してくれた
それはSKの人生の指針となる思想の原点でもあった
熱を込めて女の暮らしや人生を語るSKに
女の苦しい暮らしがあった場所を、
今、この目で見てみたいとわたしは強く希望した
しばらくたって
「山の家に行ってみたいよ」と切り出したわたしに
SKは「ああ、あれならグループの人と行ってきた」と答えた
わたしにはそっけなく聴こえた
あんなに強く希望したのにと、むっとしながら
「わたしも行きたいよ、連れていってよ」と言いつのったが
さりげなく断られた
インターネットでSKの所属するグループのホームページに入ってみると
熊のでる山の中での女の暮らしがどんなにたいへんだったかを何人かで見学し
SKがそこで泣き崩れたというレポートが掲載されていた
自分の思想信条を共にする仲間を
優先させて当然だとわたしは納得してはいたが
なんで、わたしとはそこへ行く気がSKには起きないのか
憮然とした
SKが亡くなってから、妹さんに頼み込んで
私はSKの思想の原点となった場へ行った
そのくらいわたしはそこへ立ってみたかった
深い森の陽の当たらない昏い地面にヒイラギの小さな双葉が生えていた
いっしょにいった女が「まるでSKみたいだね」と言った
わたしは自分の心の声を大きくする装置のように
その声の人を見た
わたしたちはしばらくそのヒイラギの
柔らかな棘のある美しいくさみどり色の真新しい芽を見つめていた
わたしの心は、柔らかな棘さえ包み込めない
なぜなら、
柔らかな棘を持ったSKの声が聴こえてきそうだったからだ
それならば、この双葉が成長する場を護るくらいの心は持ちたい
友達とは名乗らないが信頼しあえる隣人として
わたしの知り合いには「右」も「左」もいる
お互いの距離を保ちつつ
いい感じでつきあって「友達」とは名乗らない
みんな違っていて当たり前
井の中の蛙になりたくない者同士がたまに
おしゃべりを楽しむ
そんな感じだ
(この、ブログは内容を見直しながら文章を書き直していく必要があります。事実や記憶を表現するため、ニコタ以外の友人との見解を突き合わせる必要があり、たたき台として書いたものを公開しています。)
書き直していったところは青字にします。
また、削除した内容は黄色字で残します。
赤字は現在検討中としてみます
Mt.かめ
2016/09/11 09:17:16
わたし自身は、{友人」という関係がいまだによくわからない(笑)
「好きになる」という感情が人間に対しては発動しにくいタイプです。
多分それは手痛くヒドイ目にあって、半年くらい自殺を毎日考えた時期が
あるのと無関係ではないだろうと思います。もともとフィクション(本)が好きだった
こともあるとは思います。人間って難しいです。まあ所詮、自分の感情のコントロールすら
ままならないんで、他人のことはわからないからリアルの付き合いはできるだけ最小限にとどめております♪
たまねぎ
2016/09/10 21:16:36
友達・・・確かに明確な基準がないですね。
片方は友達と思っていても、もう片方は思っていないかもしれないし、
どこまでを友達というのかもよくわからないし。
私自身が「友達」という言葉にちょっと抵抗があって、
誰かに他の人のことを話すときは、あえて「友達」ではなく「私の知り合いがね・・・」と言ったりしてます。
私が素直に友達と呼んでいるのって、そういえば、地元の友達1人だけかも(笑)
でも・・・寂しいとか不安とか、そういう気持ちが不思議とないんですよねえ。
chi-coco
2016/09/10 16:49:17
仮想の友達は、押すだけだから 解除も簡単
合う合わないは、 感覚なんだと思います。
深入りしすぎて、失敗もありますけど
それでも 何となく 続いてる人もいるし、数年ぶりに放置から覚めた人もいた(笑)
面白いと言えば面白い関係ですね。
人生何人の人と出逢えるかなぁ (友達100人できるかな♪)
友達の友達と仲良くなったりね♬
友達は、必要だと思うけど 無理して仲間に入る必要もないと思います
一人でもいられる、かといつて 誰も居ないわけでもない
↓まさしく 同感
お互いの距離を保ちつつ
いい感じでつきあって「友達」とは名乗らない
選挙の時だけ電話がかかってくる知り合いいるしねw
でもそこの○○○会の友人とは、かれこれ、30年以上のお付き合いです
進められても入らなかったし・・関係なく続いています
年齢関係なく、年上の方と居るほうが私的には、甘えられるので楽です(笑)
かなり上ですけどね・・・・
分けて お付き合い上手にするタイプかもしれません 私って(笑) 仕事がらかなぁw
でも 苦手な相手もいますものねw
トシraud
2016/09/10 13:22:58
蓑田胸喜とか今のAlt-rightとか、最近でいう「炎上」狙いの扇動屋の話かと思いきや、身近なお友達のこと。上手く言葉で表すのは難しい情の通うことの問題。生きている間はずっと悩むのでそうか?。。。
みかさ
2016/09/10 12:57:02
自分自身もよくわかりません。
人ってそれぞれの思惑で動きますしまた人の心は移ろいやすく
特に最近の人間関係は本当に集散離合の連続なように感じます。
そういう人の集まりの中で泳ぎまわるのは本当に難しいことだと思います。
自分自身はここ10年本当にいろんなことがあって人付き合いが苦手の人嫌いになってしまい
基本単独行動を是とする人間になってしまいましたが、
少なくとも自分に親しく接してくれるに人に対してだけは
誠を尽くせるような人間でありたいものだと思ってます。
なにせ自分自身は器用な真似はできませんが故に…
もし法が許すのであれば自分はおろか周囲に迷惑をまき散らすような存在に対しては
刀を引っ提げてその首級を刎ねてしまいたいものです。