脳活日誌586号
運命とか宿命について。
自由、民主、平等というが、言葉としてではなく、生きざまの実態として考えるならば、どのような状態を自由、民主、平等と言えるようになるのか。自由といっても何をしてもいいというのが自由ではない。逆に自由とは制約のあるものである。社会的に制約があっての自由なのである。他人のことや社会の条件を考慮しないで自由は確立できない。
他人を傷つけることは犯罪である。暴力は犯罪である。何千年も前から、こうした行為はしてはならないと罰則を決めている。長年の人間社会の体験から、罰則を設けて罪を償わせることを制度として確立してきた。ただ、罪と罰に対する量刑については各国バラバラである。それは宗教的な影響もあって、刑罰のやり方に差異があるということだろう。
犯罪というものが、何故発生するのか。この原因、動機については裁判で完全に解明されているとは言えない。最近の犯罪で目立つのは尊属殺人である。子や孫が親族を殺し、親が子を殺す。こうした出来事は本当に深刻な事態である。今は尊属殺人罪という罪名は廃止されているが、事件そのものは依然として起こっている。人の行為と刑罰について小さな頃より教育していくべきではないかと思う。
人間は簡単に死ぬものなのだという生命に対する恐怖心、この自覚が足りなくなってきているように思う。命の尊厳である。生きることの尊さがもっと叫ばれるべきだろう。死も生も運命ではない。愛情が必要である。思いやりを大切にしよう。
みき
2016/09/20 20:57:23
ごま塩ニシンさん、こんばんは。
私が以前に聞いたのは、「生まれながらに持っていて、変えようのないものが宿命。自分の意思で変えていけるものが運命」というものです。
命って不思議なものです。
このお仕事就いていて、本当にそう思います。
はかないようで強くて、でも、強いようではかなくて。
アメショ
2016/09/20 18:18:15
まーそうでも、思わないと節・説。
過去は、変えれないけど、未来は、どーにでも、なる!って、奴。