ごま塩ニシン

脳活日誌643号

日記

   番号を飛ばしたらしい。
 そこで補足として、この号(643号)を書きます。ブログ日誌を続けていると、明日は何を書こうかと常に意識をしている。ある意味、朝起きてからパソコンに向かうまでの間、テーマについて考え続けている。短い文章だから、書き始めると一気に述べてしまうのだが、思いついたことを、こまめにメモしているので決してやみくもではないつもりであるが、こうした要素がないわけではない。

 日記風の記述は計画があるわけではないから、その日の思い付きでいいわけだが、花鳥風月だけでは満足できないから、つい余計な政治的視点を入れたり、経済評論的なことを書いて、うっぷんを発散させている。私は学者ではないから、専門分野というものがない。単なる記述的おしゃべりやでしかない。いわゆる一般的な不安を文章にしているだけである。思いを書くだけで、精神的な充足を得られるから、認知症対策になっているのではないかと信じたい。

 血圧の薬を選定してくれている担当の医師は、いくら対策をやっていても認知症になる人は、なりますと断言してくれる。なる人はなる。単純明快な診断である。母親が90歳代になってから、認知の傾向が出て来て、薬を投与されていたが、往診にきた医師がある時、多くの患者さんを診てきているが、認知症に適格な効果のある薬はみあたりませんね、と卓見した言い方をした。国が認可しているから、効果ありとされているけれども、この効能は万全ではないということだろう。ハァジ―なのである。決定的なものがない以上、試行錯誤するしかない。脳の働きは永遠に不明で、いいのではないかと思う。分からないから、脳(ノー)なのだ。