脳活日誌650号
雑想を編み上げる。
『雑想』という言葉は辞書にない。雑念、雑感、雑慮などは辞書にあるが、雑想という単語はない。ここに本邦初の言葉を書く。要するに雑多な思い、想念のことである。ガラクタの発想というのだろう。売れ筋の商品にならなかった出来損ないの仕掛け品みたいなものである。形にならない試行錯誤の考え方というか、様々な思いを雑想という表現に託したい。
私が書いているものは、ほとんど雑想に近い。はっきり言って、他人にとっては、どうでもいい思いを述べているのかもしれない。ただ、一人でも読んでくれる人がいるだけで小生は安心している。誰も反応してくれなかったら、寂しいだけでなく孤独になっていくだろう。いいとか、悪いとか、間違っているとか、的外れであるとか、時代錯誤であるとか、何でもいいから、返事が返ってくると、明日の糧になる。
人間は、「考える葦である」とパスカルが言っているが、弱いはずである人間という一葦が今や自然を人間の我欲で破壊し続けている。自然災害の頻繁な増加が人間の存在基盤を根底から覆しかねない状況を作り出している。こうした環境の変化に対して、人間の行いを反省し、生活の仕方を改善していく必要が出てきている。産業の発展によって便利なものが無数に作り出されているが、この資本主義生産体制に、どこかで歯止めをかけない限り、人類が死滅する危機さえ出てきている。巨大な災害を被らなければ、人間は反省しないのだろうか。北極や南極の氷が解け、海水の水位が上昇すれば、水没する都市が多数出てくるだろう。この危機を避けるためにも、従来の生活観念を変えて、雑多な想念を組み合わせて、エコ社会を目指す必要がないだろうか。大型ゴミを出すに当たって考えたことです。
アメショ
2016/12/02 18:38:59
ちは。
まー確かに、人が、活きていると、いうことは、過去、明日とか、のサンドイッチなので、モノが、捨てれないのだろう。
循環してるのにね。
あと、私は、「雑念」が、多いいので、仏心を、教わり、沈着冷静で、つまんねー奴で、居たいのさ。