もえーん

看取るということ

日記

昨晩、母は息を引き取りました。

母の誕生日がちょうど今月なので、一昨日は誕生日とクリスマスのプレゼント兼用で、クリスマス仕様な感じの小さな花束と、こどもの飾り付けたクリスマスツリー(高さ60cmくらい)を持ち込み、とりあえず飾りました。でも延長コードがなくて、ツリーに絡ませているランプの点灯は、昨晩に持ち越し。


一気に下降線をたどった母の衰弱ぶりから、今日のクリスマス会まで持たないかと思われましたが、一昨日あたりから小康状態を保っていました。しかし昨晩から血圧も血中酸素飽和度も下がり始め、本当は父と入れ替わりに私が泊まる予定でしたが、看護師から父も泊まった方が良いとのことで2人で泊まることに。

どこにも連絡していないと父が言うので、もう今晩か翌日かという状況であることは看護師から聞いていたので、とりあえず母の兄弟姉妹にはその旨を連絡し、そしてウチの嫁と子供を呼び寄せました。

「子供たちが見舞いに来るからね」

孫たちが訪れることを、何度も伝えました。

10時ちかくに連絡をしてから2時間後、嫁と子供たちが到着しました。
本当は23日の夜にプレセントする予定だった自作のクリスマスキャンドルを持って。子供たちに、母の枕元で声をかけさせ、キャンドルを見せ、ひとしきり時間を過ごさせたところで、もう24時頃になっていたので、子供たちは借りていた控室で寝かせることにしました。

子供たちが引き上げて10分も経ったかどうか、それまで小康状態を保っていた母の呼吸が不規則になり始めました。あわてて子供たちを再び母の枕元に連れ戻し、そしてそれからしばらく後に、母は亡くなりました。その間、おそらく30分足らずの出来事でした。孫の顔を見るまでと、頑張っていたとしか思えません。孫の顔を見たところで安心し、そして精根尽き果てた、まさにそんな感じの終わり方でした。



先日のブログで、母の年越しすら見通せない状況の中で、自分がそんなに悲しんだり取り乱したりということもない、というようなことを書きました。それは事実だし、また数年来の癌と母との共存生活の均衡が崩れだした秋口の時点で、もう数か月ということになるであろうことを予測をしていたことも、それは本当。

しかし。

私のこの心が乱れない原因が、そんなことにはないことも私には分かっていました。分かってはいたものの、また一方でその理由は判然としませんでした。よほどの人でなしなのか、とも思いました。でも昨日、病院から仕事に出かける道すがら、本当に自分が人でなしであることに気が付いてしまいました。

この5年ほどで、嫁の父、母が亡くなり、私の母方の祖母がなくなり、そして私の母が亡くなりました。私の子供達の視点で言えば、おじいさん一人、おばあさん二人、曾祖母一人の死に立ち会ったことになります。「家で死ぬ」ということが無くなりつつあるある時代の中で、子供が死に触れることは大切なことだ、という言説があります。もちろんそれはそのとおりです。しかし、では本当にウチの子供たちは人の死に難度も触れたのでしょうか。私は、必ずしもそうは言えないと思っています。そしてその理由が、私が人でなしである訳にもつながります。

予想外の不慮の死ではない限り、死とは突然に訪れるものではありません。少なくとも看取る側にとって、死とは一つのプロセスです。
半年前は元気だったのに、2か月後にはすっかりと痩せてしまう。一週間前まで食事をしていたのに、数日後には食べられなくなり、起き上がれなくなり、話せなくなり、瞬きすら満足にできなくなり、最後は口も目も干からび、骨と皮だけになり、そして息絶える。
死とは、この一連のプロセス全体のことであり、息絶えるその瞬間のことではありません。そして死を見守る者は、自身と死に行く者が時間を共有し、交じり合い、衰える一連のプロセスに関与する中で、死に行く人との過去に想いを馳せ、受け入れ、そして時間をかけて悲しみを醸成していくのだと思います。

おそらく、それが看取るということなのです。

私の家と実家は車で20分程度。月に一度かそこら、孫の顔を見せに出向く程度の事はしていました。抗がん剤のおかげで、母は癌と均衡した関係を5年間も続けてきました。私はそのことに甘えていました。母と一緒に住む父の治療方針はチグハグであり、母の意見など聞きもしない、自己満足としか言えないようなことが多分にありました。しかし、その正誤はともかくとして、父は確実に母を看取っていきました。

母に付き添い、わずか二週間かそこら。そのわずかな期間の中で、当初さして悲しみもないと言っていた感触が変わっていくことを感じました。たった二週間で感じることできるはずのことを、私は何もしてこなかったのです。


母は、この不甲斐ない40も過ぎた子供のために、命を削って最後のしつけをしてくれたのだと思っています。

  • かぉりん

    かぉりん

    2017/01/12 11:10:44

    祖母

    長男(父)・長女・次女

    兄・旦那・弟

    祖母が生んだ3人の中の息子がうちの旦那の父なのですが
    4年前に亡くなっており、旦那も相続する身になるんですよね~。
    話し合いは兄がやってくれるとは思うけど…。

  • もえーん

    もえーん

    2017/01/12 01:58:35

    >私は看取るという事は自己満足だと思ってます。

    そうですね。というか、おそらく自らの行動や想いの全ては自己満足です。どんなに尊く無心の奉仕や自己犠牲も、それが自らの意志である限り、すべては自身の欲望であり、自己満足です。ただ、その自己満足の在り様には、きっと色々な姿があるのだと思います。

    母は、本当に亡くなる直前まで、自分の病気を受け入れていなかったのではないかと思います。母は自分が治るものだと、亡くなる直前まで疑っていなかっただろうと思います。でも、亡くなる一週間ほど前に「もう、だめかね」とポツリと漏らしたことがありました。私が母の死を強く意識したのは、それからでした。

    それから母の入院先に、ほぼ毎日のように行き、傍らに寝て過ごしました。亡くなる数日前、何も食べないという父の言葉とは裏腹に、私が顔を見せて食事を口に運ぶと、「おいしい」と言いながら父が驚くくらい良く食べてくれました。それが母ときちんとした言葉で会話を交わした最後だったかもしれません。

    入院からたった二週間。母は逝ってしまいました。不甲斐ない私の遅ればせながらの自己満足が、母の満足と少しでも重なりあってくれていれていたのかどうか、それはわかりません。ただ、孫の到着を待つかのように息を引き取った母に、「孫が来るまでは死なない」という母の生への意志があったと信じたいし、そうであれば子供たちに会えたことでの「これで死ねる」という死への安堵と納得が、いかばかりでもあったのだと信じたいと考えています。

    私の携帯電話には、まだ母からの留守番電話がたくさん残っています。亡くなった翌日に、少しだけ聞いてみましたが、やはりどこか実感が湧きませんでした。でも、今はしばらく消すことも、聞くことも止めておこうと思います。次にその留守番電話を聞く時が、母が亡くなり、私が初めて涙を流す時になると分かっているので。

  • かぉりん

    かぉりん

    2017/01/10 09:19:56

    お久しぶりです。

    同じ日に主人の祖母が亡くなりました。
    98才でした。
    同じく12月が誕生日で、元気だった頃は頻繁に祖母の家へ行ってた足も
    5年前に入院して、会話が成立しなくなってからは遠のいていました。

    「元気じゃないばーちゃんを見るのが辛い」と言う主人を私は責めませんでしたけど
    亡くなって葬儀まで1週間があり、葬儀まで会いに行かないと言う旦那を説得し、
    入院してた遠方の葬儀屋まで会いに行ってきました。
    そして、もーえんさんと同じく悲しみもないと思ってたはずの主人は泣いてました。

    私は看取るという事は自己満足だと思ってます。
    自己満足を満たせるだけの介護をすれば良いのだと思っています。
    自分を納得させる必要なだけの看取りをすれば良いと思っています。
    死ぬ事より生きていくことの方が大変です。

    余命を宣告された人は、悲しみ嘆いた後に、残された人の事を心配し始めます。
    もーえんさんのお母さんにはその時間がたくさんあり、
    きっと、ご自分の病気を受け入れた後は、頑固な夫や多趣味な息子を
    心配し、心配し、心配し…どうなったのかはもーえんが知ってるかと思います。

    今回、祖母が亡くなってから葬儀までに日があり、
    クリスマスにかけてからの年末、皆多忙の中の葬儀でした。
    そんな中、娘が言った言葉。

    「葬式への持ち物は優しい気持ちだけだよ。」

    曾祖母が大好きだったリンゴと写真に手紙を書いて行くと娘が言うので用意しました。
    最後のお別れの時、棺に入れられたのは娘のりんごと写真だけでした。
    祖母には娘が二人居て、葬儀まで1週間あったのに、他には何もない事にびっくり…。


    さあ、骨肉の争いが始まりますよ~(; ・`д・´)



  • もえーん

    もえーん

    2016/12/26 00:06:16

    皆様

    色々とお声がけいただき、ありがとうございます。

    葬儀そのものは簡単なもので、準備らしい準備もさしてありません。今日も朝から子供とプールに行き、夜は毎年恒例の手作りクリスマスケーキを作って、そして実家に連れて帰った母の隣でクリスマスパーティでした。明日は昼過ぎに納棺ですが、私は朝は会社に行って打ち合わせをしてから納棺に向かう予定です。

    布団に横たわる母を見ると、なんだかまだ実感がわきません。起き上がって話を始めそうな気がします。

    あちらこちらへの連絡は父がしていますが、それ以外の手配類は私が葬儀屋と進めています。とはいえ、祭壇を決め、献花やら精進落としの食事やらのことを決めてしまえば、後は特にすることもありません。むしろ、母の寝顔を見ながら、普通の日常を続けている方がいいかなと思っています。
    子供とプールに行き、その帰りに実家により、父の様子を見つつ、訪ねてきた葬儀屋と簡単な打ち合わせを行い、そして母の顔を見ながらお菓子でも食べて、骨壺に入れる副葬品はどうしようかと、母の鏡台の引き出しの中を物色し、そしてケーキを作ってクリスマスパーティーをする。そうやって、普通の日常の延長線で母を見送りたいと思っています。

    母の顔を見ていられるのも、あと2日。明後日の通夜の夜は、葬儀場に泊まって、母の横で眠る予定です。

  • ・とんとん・

    ・とんとん・

    2016/12/25 23:22:44

    これからご葬儀の準備などでお忙しくなられると思います。
    しっかり眠ってしっかり食べるということをぜひ大切になさってくださいね。

    天に召されたお母様の平安をお祈りいたします。

  • スゲ子

    スゲ子

    2016/12/25 13:12:52

    お悔やみ申し上げます。
    落ち着いたら、また戻ってきてくださいね。

  • ころん

    ころん

    2016/12/25 00:37:55

    お悔やみ申し上げます。
    お母様、最期はお孫さん達に見守られて、だったのですね。
    幸せな最期だったのではないでしょうか…。

    しばらく色々忙しいでしょうが、それも含めて最後の躾と思って
    頑張って乗り越えてくださいね。体調に気を付けて。
    お父様は一人になって寂しくなられると思うので、これからは
    お父様を気遣ってちょこちょこ実家に帰ってあげて下さい。


  • ごま♪

    ごま♪

    2016/12/24 22:59:05

    お母様のご冥福をお祈りいたします。
    寂しくなりますね。