のたもた

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ブログふっかーつ!!
そんな訳で、書きたい事を書きます。

それだけです。

何で今更、こんな常識をかかなきゃならないんだ!?

30代以上

だからぁあ、ナチスが最初は左翼だった事は世界の常識でしょう。

ナチスの歴史は普通に多くの人が其の「なれ初め?」みたいな事や
何処かの建物が爆破された事件の事などが
普通に「ヒストリー」とか「ドキュメント」とか言って
戦後に検証番組みたいに何度も色々な番組になって放映されているので
そんな事は普通に知っている事だと思っていましたよ。

詰り「理想、綺麗事、福祉政策、格差是正、金持ちの搾取の否定、
労働条件の改善、平等」等を掲げたから多くの人達に支持された政党に
なって行ったのでしょう。
↑これらの事は常識ですよ。

でも一応ウィキから書いて置くけど、こんな常識を今更載せるのは
うんざりです。この程度は子供以外は知っている事でしょう。
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国家社会主義ドイツ労働者党

前身の党は「ドイツ労働者党」である。1920年、党の実力者となったヒトラーが改名を主張し、ルドルフ・ユングがオーストリアの「ドイツ国家社会主義労働者党」(Deutsche Nationalsozialistische Arbeiterpartei)の命名パターンに従うことを要求した。討議の結果、 「Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei 」、ナツィオナールゾツィアリスティシェ・ドイチェ・アルバイターパルタイ)の党名が採用された。正式に党名が変更されたのは1920年2月末であるが、2月22日付のビラでドレクスラーがこの党名を用いている。一方で党書記がこの党名を使用し始めたのは4月18日になってからであった[1]

正式党名の和訳は「National」の解釈の違いにより「国家社会主義ドイツ労働党[2]」、「国民社会主義ドイツ労働者党[3]」、「国民社会主義的ドイツ労働者党」[4]、「民族社会主義ドイツ労働者党」[5]などと訳される。

2011年の山川出版社の高校教科書『詳説世界史 B』ではナチズムは「国民社会主義」と訳され、佐藤卓己は現代ドイツ史の専門家で「国家社会主義」と訳すものはいないと指摘している[6]。「国家社会主義」はフェルディナント・ラッサールなどの社会主義思想である state socialism としても用いられるが[7]、また日本における高畠素之や赤松克麿が唱えた思想も「国家社会主義」と呼ばれる一方で、「国民社会主義」とも称している[8]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E5%8A%B4%E5%83%8D%E8%80%85%E5%85%9A
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ナチスは社会主義を出して居て左翼だったのは常識です。


次に、北海道にアイヌ文化の前に一万5000年前から縄文時代が在った事も
常識でしょう。
何でこんな事を今更書かなければならないのか?
http://jomon-japan.jp/jomon-cultur/

で其の後にアイヌ文化が在って北海道の先住民族は「アイヌ民族」ではありません。
科学的歴史から言うと「縄文人」が先住民族です。

で、アイヌが国会で「先住民族」と認められたのは
そう言った利権に絡んだ運動が在ったからです。

此れはウィキのアイヌの歴史の戦後の歴史を見ると良いでしょう。
=======ウィキより
アイヌの歴史

戦後の民族運動

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  • 1960年代 - 新左翼によるアイヌ革命論が展開され、アイヌ解放の名の下に白老町長襲撃事件や北海道庁爆破事件が起きる。アイヌ革命論は和人によって主張されたもので、各種テロ事件も左翼思想に傾倒した和人の手によって引き起こされた。大多数のアイヌは新左翼のテロ正当化にアイヌの名が利用されているとして、この主張に反発していた。
  • 1960年 - 北海道アイヌ協会、再建総会を開催。
  • 1961年 - 北海道アイヌ協会、「アイヌ」の語が差別的に使われているとして、組織名を北海道ウタリ協会に変更。不良環境地区改善施設整備事業、開始。
  • 1980年 - 関東ウタリ会発足
  • 1983年 - レラの会発足
  • 1984年 - アイヌ古式舞踊が国の重要無形民俗文化財の指定を受ける。
  • 1986年 - 中曽根康弘首相、「日本単一民族国家」発言。
    • 1988年 -
      • 「ウタリ問題懇話会」から北海道知事に対し、アイヌ新法問題について報告書提出。
      • 北海道議会全会一致でアイヌ新法の制定についての要望意見書を採択。
      • 北海道ウタリ協会がアイヌ史資料編を発行。
      • 北海道ウタリ協会・北海道・北海道議会が「旧土人保護法の廃止」と「アイヌ新法の制定」を要請。
    • 1992年 - 国連本部で開催された「世界の先住民の国際年」の 開幕式典で北海道ウタリ協会理事長 野村義一が日本の先住民族として記念演説。
    • 1994年 - 萱野茂、参議院比例代表繰り上げ当選。アイヌ初の国会議員となる。
      • 北海道ウタリ協会がアイヌ史活動史編を発行。
    • 1995年 - 内閣官房長官、「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」を設置。
    • 1997年 -
      • 札幌地方裁判所「二風谷ダム訴訟」の判決でアイヌの先住民としての権利を認める(控訴されず判決確定)。
      • 「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」が制定・施行 。同時に北海道旧土人保護法等が廃止される。
      • 財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構、設立
    • 1999年 -「伝統的生活空間(イオル)の基本構想」、国に提出。
    • 2000年 - 国土交通省、文部科学省、北海道、アイヌ文化振興財団、北海道ウタリ協会との間で「アイヌ文化振興等施策推進会議」が設置される。
    • 2008年-北海道ウタリ協会、総会において2009年4月より組織名を北海道アイヌ協会に戻すことを正式決定。[9]
    • 2008年6月6日-アイヌを先住民族として認めるよう政府に促す国会決議が衆参両院とも全会一致で可決される。

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    ↑私は此れが間違っていると本当の北海道の科学的史実から逸脱していると
    実に政治的に利権に絡んだ捻じ曲げられた歴史だと反対をしている訳です。

    きちんと科学的にとっくに証明されている北海道の縄文人、縄文文化が
    それ以前に在った事を認めるべきです。
    此の時代に何をやっているのかと思いますよ。
    既にDNAでさえ解明されているのですよ。

    明らかに異常な状態に此の国はなっていると言う事でしょう。