脳活日誌716号
言葉の棲みか。
言葉の違いは棲みかの違いでもある。江戸の下町言葉や地方の方言、暗号のような訛り、隠語などである。現代語と古語の違いもある。日葡辞書が珍重されるのは、1600年の関ケ原の合戦後、1603年~1604年にかけて当時の日本人の話し言葉をポルトガルの宣教師達が解釈して長崎で出版されているからである。この頃の民衆はどんな言葉で会話をしていたのか、この辞書が教えてくれるからである。
こんな古い話をしなくとも、現代生活で言うなら、霞が関で生活していた人が、妻が夫のことを「お父さん」と呼んだら、「父(ちち)」と呼べと叱ったという。当然なことに、子供たちは「お父さん」と言えない。「私の父は・・」、「母は・・」このように言わなければならない。「棲みか」というか「生活している世界」によって言葉は制限を受けてくるということである。私などは、気楽な人生を送ってきたから、父は、母は・・と言うような会話をしたことがない。
名は体を表すと言われるが、言葉は棲みかを表現しているのかもしれない。最近は短縮語というか、頭の音だけを端折って表現するのが流行っている。漫画言葉もある。このように言葉は環境や時代の表現なのだろう。それにしても、「お父さん」ではなく「父(ちち)」と呼べというのも、一種の教育なのかもしれないが、位階級的な意識のように思えてならない。昔は士族だったとか、公家の出でございますといった類で、いささか時代錯誤を覚える。権威という意識を味わった階層だから、有無を言わせずに、こうしろと命令できるのであろう。こういうのを国家意識をいうのだろうかと考えさせられた。
アメショ
2017/02/11 17:26:03
正直、父さん、お母さん、とかの、敬称?好きですよ。
キチンと、家族間でも、「あいさつ」とか。
本来、男が、仕事で、女が、家庭です。
どこかに、世離れ?した、一家が、キチンと、居たりして。
今、にこっとのバレンタイン「イベ」ぬ、はまる。(笑い。