ごま塩ニシン

脳活日誌735号

日記

   昨日は書く暇なし。
 朝食後、血圧の薬で病院へ行く。金曜日なので大変混んでいた。持参した島崎藤村の「夜明け前」を読んでいたが、なかなか名前が呼ばれない。1時間半ほどして看護師さんと対話ができる。何時もの薬だけをもらいに来ましたと言った。薬は診察後に処方するものだから、薬だけというのはないが、処方箋を貰って、薬局へ。その後もいろいろあって、家に帰って、一息ついていると昼食の時間。昼食を食べて、散歩に出掛け、家に帰ると2階の部屋の掃除、洗濯物を入れたり、風呂を洗ったりの雑事ばかりで考えている暇がない。夕食後に床の掃除をして、入浴すれば、昨日の1日が終わってしまった。

 人間、生きていくためには食べて、寝て、洗濯と掃除、風呂に入って、買い物もしなければならない。病院に行って薬の厄介にならなければならない。日常のこうした出来事を一切、放棄して生きるには放浪しかない。また、山頭火かとなってしまう。
他人さまの厄介になるのも問題である。今時、親戚同士でも、一宿一飯は出来るものではない。ましてや、俳句好きだから、文学の同人だからと言って、泊めてくれる親切な人はいないだろう。この点、昔の人は凄かったと思う。芭蕉とか西行法師とかの行脚生活を考えて見る時、平伏したくなる。

 私も学生の頃、友人と海道筋を歩こうと誘い合った。小生は京都から三重の四日市までやって来て、ギブアップした。友人は木曽路の途中まで歩き、後は鉄道で郷里の山形へ帰ったようだ。どうも、小生は途中でバテて、放棄してしまう傾向がある。鍛えられていない証拠である。人生は、やり直しが出来ない。