脳活日誌738号
霊魂の昔話。
最近、増えてきた樹木葬について。現代は火葬だから骨をどこに埋めるかで、いろいろな場所が考えられている。株式会社で永代供養の施設を運営するところもある。もし、会社が倒産すれば、どうなるのだろう。墓地墓石はお寺の管理下にあって、いわば墓地を借りて墓石を寺に置かせてもらっているに過ぎない。田舎へ行けば、田圃の横に、ぽつんと墓石があるのを見かけることがある。沖縄なんかでは、点々と墓石が分散されている。必ずしも寺の敷地に墓石を造らないといけないということはなさそうである。
街中では、自宅の庭に墓石を建てるわけにはいかない。仕方なく、どこかの寺院に頼むしかない。宗派に拘りたくないという人もいるから、寺の提供物でない場所に、とりわけ自然に帰りたいという気持から樹木葬や海洋散骨供養という形式も考案されている。ニューギニアの昔話にラギという男がヌエという鳥を矢で射て殺す話がある。この鳥を土に埋めると木が生えてくる。この木に見たこともない実がなる。実を取って別の処に植えると、木が大きくなって、また、実をつける。こうした繰り返しでヤシの林が出来たいう。
ヤシの実から牛乳のようなクリームのエキスが出る。犬がやって来て、欲しいと言った。犬は人間のように話をした。ネズミもヤシの実を食べた。食べ残しを蟻たちが食べた。このように死者から植物が育ち、霊魂が転生していくと考えられていた。火葬で灰になれば、一代で終わると考えるのは短絡かもしれない。宗教によって死生観が違うので一概に言われないが、霊魂について真剣に考える必要がある。
みき
2017/03/07 22:16:27
ごま塩ニシンさん、こんばんは。
私、人の魂は永遠なんじゃないかって思ってます。
エネルギーは永遠不滅。
形態を変えるだけで、その実態は変わらない・・・
物理学の法則から、なんですけれど。
アメショ
2017/03/07 12:25:45
前のコメントの件で、
まー親の七光りを私も、個人レベルで、使えてないだろう。ぐすん。
所詮、人も「つち」に帰る。
ペットの遺骨ネックレスさえある。
気持ち!なのか。
昔、あの統一教会を訪問したことが、あるが、「仏のざたも、金次第だ。」 痛感だ。