脳活日誌743号
桜はまだかと友よりメール。
花の季節になってきた。みんな花を待っている。寒い長い冬よ、早く終わって欲しい。待ちきれない願いが伝わってくる。花の中でも桜はメインイベントだろう。艶やかさ、散り際の見事さ。このリズムに引かれるのだろう。日本人の心情にあっているのかもしれない。パッと咲いて、思い切り華やいだかと思う間もなく、一雨で散っていく。美に対する日本人の心を軍人が悪用して、特攻精神を醸成したのも、悔やまれる作戦であった。あたら若い青春を戦場に散らしてしまった。「あたら」は漢字にすると「可惜」と書く。有為ある人材を無駄にした。惜しまれてならない。
精神文化というものはどこから始まるのだろう。古代に求めると、日本人の場合、万葉集、古事記、日本書紀になってしまう。だが、文字になっているものに精神の源流を求めるのは無理があるのではないか。なぜなら、精神は文字として残される以前から綿々と受け継がれてきたものではないかと信ずる。文字になる以前の精神が、漢字という異文化の道具を使って、己の思いの何割かを、窮屈な漢字表現に当て嵌めたが、無理があったように思えてならない。
白川静氏の説によると甲骨文字の始源は神とのかかわりの中で創出されてきたものと言われている。漢字の象形文字の由来は中国文化の源流であるが、日本の場合には中国と違った文化精神の創出があるはずである。現代の言葉と表現は漢字という道具を使って行っているけれども、核心といえる日本精神は百パーセント、文字文化に馴染めない感性を残している。これが漫画文化となったり、演歌になったり、物造りの職人技になったりして、日本精神が発酵するように発現している。