もえーん

読まなくていい

日記

とある人のブログを読んで。
そこにコメントとして書くのもどうかと思い、つい。。。



読まなくていいです
自分が、ほんとにくだらない人間のような気がしてきますが、なぜか書きたくなってしまいました。自己嫌悪な感じですが、それでこれを消してしまわないところがまた。。。


読まなくていいです。















































「こんなに頑張ってる」「こんなに大変」

今でこそノンビリやってますが、いつもそれ言っていましたよ、わたしw それは「お前たちもここまでやれ、甘えるな」という叱咤と共に、自虐的にそう言う事で、息切れしそうな自分を鼓舞するためでしたけどね。。。

結果がすべてでは、ありません。過程が大切です。私はそう思っています。
ただし、声を大にして言いますが。過程を語る資格があるのは、結果を出した者だけです。

努力賞などない。当然です。
100点で当たり前、99点は0点と大差なし、101点で初めて評価に値する。
安易に褒められることも、褒めることも大嫌いです。そしてそうやって人を褒める人を、私は信用しません。褒めて伸ばすことを否定はしません。しかし褒めなければ伸びないような人間は、どのみち伸びません。

ただ結果には、実は2つの側面があると思っています。
ズバリ、だれが見ても明白な成果、普通はこれが成果であり結果です。
もう一つは自己満足という成果。自己満足ですから、その閾値は自分自身が決めるものです。だから、当人が「いやーよくやったな~」と思えるのであれば、それでいいででょう。結局、最後は自己満足です、何事も。ただ「いやーよくやったな~」と安易に納得する人の成果は、常に知れているとは思いますが。

私は、自分が「だれが見ても明白な成果」を一度でも残せたとは思えません。能力がなかったのでしょう、残念です。

ただ、就職から40歳過ぎくらいまでの年月、自分の生きる時間と活力の全てを仕事に注ぎ、比喩でもなんでもなく365日24時間を仕事に捧げ、誰よりも考え、誰よりも行動し、誰よりも悔し涙を流してきたという自負だけはあります。だからこそ、自分の信念は何があっても曲げないし折らせない。

でも、それって過程ですよね。。。
過程を語る資格があるのは、結果を残した者だけ。

私は、誰が見ても明白な成果など残せたことはないと思っています。だから問われない限りは過程を語ろうとは思ってきませんでした。でも、結果は残せなかったけど、過程は頑張ったよな、と40歳代も半ばになって、今は少しだけ思うようになりました。ほんの少しくらいは自分を褒めてもいいんだという気になっています。だから最近はこんな話を恥ずかしげもなく書いてしまいます。以前もここで、そんな話を書いていたような気がします。やだな、なんか。匿名だからって、ごめんなさい。くだらない自己満足にお許しを。

  • スゲ子

    スゲ子

    2017/03/18 01:32:47

    時間もお金もかけずに、人間深みでないですよ!
    結局のところ、一つ一つの積み重ねが大切ですね!

  • もえーん

    もえーん

    2017/03/17 10:20:43

    まあ、厳密に「目標と計画と実行」の流れの中に入らない、例えば基礎体力づくりみたいなものもありますけどね。例えば、私も直接的には仕事につながらない講演会とか勉強会によく行きます。でも教養とはそういう広範な知識や経験、思索の総体としてあるものだし、そういう教養のないところでの仕事は、深みのない表面的な作業遂行にとどまってしまいます。ただ、それは要するに自主トレなので、もちろん時間もお金も自腹ですけどねw

  • もえーん

    もえーん

    2017/03/17 01:13:11

    >成果も過程と思えます。

    それは正しいですね。成果は次の成果へのステップですよね。

  • スゲ子

    スゲ子

    2017/03/17 01:06:18

    女子と男子にも違いがありますよね。
    女子の多くは(年齢関係なく)、過程を大切に?したがるので、
    なにがどうしてどうなってこうなったからこうなった、
    みたいなことをいちいち説明して、納得とか共感を得ることが多かったです。
    私も結果を出してからこそ過程を披露できるし、その過程が意味を成すと思ってます。
    (失敗は成功のもと、とも言いますから失敗した過程が意味ないわけではないです。)
    勤めている限りでは、成果は自信につながるからある意味自己満足とも思えるし、成果も過程と思えます。
    もえーんさんの話は恥ずかし話じゃないですし、年齢とともに考え方や価値観に変化があるのは
    当然のことと思いました。
    私の場合独身なので、「自分頑張ったな」って思うこと自体ただの自己満足でしかないですけどね。
    やっぱり家族を守りながら働いている人には頭が下がります。

  • もえーん

    もえーん

    2017/03/17 00:48:42

    もちろんアピールしてダメという事はないでしょう。ただ、何を、どういう状況の中で、どうアピールするのかという文脈次第でその判断、評価はいくらでも変わると思うので、それがわからないと何とも言えないです。

    前にゴマさんのブログへコメントしましたが、「これだけやった」「資格を取った」ことは成果ではないので、その結果として何が生まれたのか次第じゃないかと思います。
    業務効率が15%上がった、廃棄率が5%削減できた、来客数がこれだけ増えた、パートさんのモチベーションが上がっている、離職率が下がった、そしてそれらの行き着く先として、会社にどれだけの利潤をあたえたのか。会社員である以上は、それが全てです。その成果が明示出来てはじめて「これだけやった」「資格を取った」に意味が生まれるわけですから、それとセットであれば存分にアピールしていいはずです。もちろん最終的な結果に至っていなくても、そこに至る道のりを確実に歩めているのなら、それも途中結果は出しているということですから、同じですね。

    よく企業の活動達成の指標で、KPI、KGI、CSFというのが使われます。ご存知かもしれませんが、KGIは最終的な目標値。たとえば、3年後までに売り上げ20%UP、とか。KPIはそこに至るまでの道のりで達成する予定の、途中目標。例えば、1年目は準備段階として、これこれという3つの組織整備を完成させる、2年目はそれらを稼働させて、現状の売り上げ構成比を保ちながら売り上げを10%UP、とか。CSFは、それらKPI、KGIを達成するために必要な重要要素。
    だから、例えばゴマさんが何かの担当者で、ゴマさんにとってのKGIとして「担当業務について、3年後はこれを目指します」という目標があり(もちろんその目標が会社にとって有益であることが大前提)、そのKPIとして1年目はこれこれという観点での接客レベルを15%上げ、その成果検証はこれこれという方法で実証しますというのがあって、その実現のためにはこれこれという資格を取ることで得られるようなスキルが必要だ、ということが上司に理解されていて、そして予定通りまずは資格を取ったぜ、ということであれば、当然アピールする意味があります。個人の業務査定にも影響しますよね。

    そういう事だと思います。すべて、目標と計画と実行にどう結びついているのか、それ次第じゃないでしょうか。

  • ごま♪

    ごま♪

    2017/03/16 21:48:09

    僕、先日上司に怒られました。
    おまえはこれだけやってる、資格もしっかり取ってることをアピールしすぎるって
    アピールしたらダメなのでしょうか。
    頑張ったことを認めてもらいたいと思いますが
    上司にとってはうざいと思われたようです。