脳活日誌776号
地金が出る瞬間。
本音が出てしまった。制御しているつもりでも、腹立ちまぎれに言ってはいけないことを言ってしまった。こんなことがないだろうか。そのつもりはなかったが、吐いた唾は元に戻らない。アクセル全開。言いたかったことを、全部、言ってやった。気分がスッカーとなったと思いきや、相手は蛙の面に小便で、なんとも感じていない場合がある。世の中いろいろである。直ぐにカアーとなって暴力を振るう人もいれば、相手の一言で落ち込んでしまう人もいる。
老齢化して介護世代になってくると、勘違い、思い違い、認識不足、記憶忘れなど予想外の変化が発生してくる。ところが、最初から思い違いをしていると気づいておれば、間違いはしないが、当初は自分の意識が絶対性を持っているから、間違っていたと気づくまでにタイムラグがある。この時間のずれが、問題を大きくしたり、誤解をまねいたり、物議をかもしたりするのである。全くの予想外の展開になって収拾がつかなくなることもある。
それに一度、不協和音が出てしまうと修復が出来なくなる。人は印象で生きているから、一度傷ついてしまうと元に戻らない。第一印象を大切にしたいというのは価値があることなのである。装って生きていく。personの原義は【(俳優の使用した)仮面➡役柄➡人】という意味からきているので面の皮があついと言われてもいいわけである。一筋縄ではないぞ。これくらいの根性をもって生活していかないと、因幡の白兎ではないが表皮を剥がれて、泣いているようではいけない。面の皮は何枚もあって少々剥がされても、真顔は見せない根性が必要だろう。
みき
2017/04/17 22:03:37
ごま塩ニシンさん、こんばんは。
コミュニケーション。
難しいです。
人と人って、単純じゃないですもの。
「相手を見て法を説け」
お釈迦さまの言葉でしたっけ?
本当にその通りなんですけれど、それがわかっていても難しいんですよね。