ごま塩ニシン

脳活日誌786号

日記

   母屋と離れの関係。
 スープの冷めない距離。嫁と姑の関係にはいろんな譬えがある。嫁と姑、犬と猿という諺もある。嫁と反物は明るい所で選べという英国の諺もある。今こんなことを言えば、人権問題になるだろう。これは嫁いびり、姑いじめではない。人と人の関係についての教訓かもしれない。核家族化が進み、独身暮らしの男女が増え、人口が減少していく現状において、今更、嫁と姑の争いもないだろう。それに性格が合わなければ、嫁が姑と喧嘩する前に離婚するかもしれない。現代は苦労して距離を測る時代ではなくなっている。

 両親と子供、娘と母、母と息子、父親と子供といった親子関係のもつれからの事件も出てきている。就労人口の大半がアルバイト、パート、契約社員時代に加えて、ロボット革命が襲来しようとしている。介護、受付案内事務、レジー、警備、実験作業員などの分野にロボットが参入してくる。こうなると労働と収入の関係において豊かな生活を維持していくことはだんだん難しくなってくる。おばあちゃんに子供の面倒を見てもらって、嫁が働きに出るというスタイルでの生計が難しくなっている。文化が進むにつれて親との同居生活が希薄になってきている。

 この一方で高齢化が進み、親の介護の問題が出てきている。実際に松葉杖で生活する場合、一人では生活できない。風呂に入るにしても大変である。夫が健在なら手助けできるが、一人身の場合には子供に頼るしかないが、子供が遠方にいて日常の世話が出来なければ、誰か社会的に手助けを受けない限り限界がある。都会の場合なら施設もあろうが、田舎暮らしだと何かと難儀である。どうしようか。

  • アメショ

    アメショ

    2017/04/27 15:41:18

    もう、社会との接点が、一人、一人、個人単位だ。

    なので、「すべて距離で、仕切るしかない」心技体だ。

    もう15歳で、家族設定をやめようよ。

    十分、考えられる年齢だ。