脳活日誌789号
文句を聞き入れない。
偏狭という言葉がある。今の世相から受ける印象が「偏狭」の世になったというのが正直な感想である。類似語に狭隘(きょうあい)、狭量(きょうりょう)という言葉もある。反対に「ゆとり」や寛容(かんよう)という表現がある。寛容は「心が広く、他人をきびしくとがめだてしないこと。よく人を受け入れること」(スーパー大辞林)とある。文句を言わせない、これは独裁であり、不満を持っている個人だけでなく、周囲で同調している人間を十把一絡げにして拘束する危険がある。
権力とは何か。これは人を拘束する自由を意味する。逮捕権、拘束権(留置および罪人を入れる刑務所などの施設を含む)は、権力者およびその代理人が持つ特権である。一般の人には、こうした権限がない。反抗する民衆には集団で武力鎮圧する。暴力というものは権力を持っている側の一歩的な特権(武力装置)なのである。大衆は武力を保持しないから、権力に対抗しようと思えば、デモくらいしかない。政府に反抗するプラカードやシュプレヒコールを権力者が気に喰わないと感ずれば、警察力をもって、暴力的に排除する。交通警察官で間に合わなければ、警察機動隊を出動させる。これでも収まらなければ、自衛隊を配備する。こうした手順が組み立てられている。これでも不安である。反抗運動を起こす前に拘束せよとなってくる。治安法案の策定である。拘束権の拡大強化である
これが共謀罪であり、さらなる強化としてのテロ準備罪である。こうした法律を画策する政治家は裏で大きな犯罪を企画している。狙いは軍事強化である。中国が航空母艦を自前の造船力で進水させた。これに対抗するために日本独自の空母を早急に準備したいという要請があろう。産業の軍事化の進展である。福祉を削って軍事予算を増やす。反対する勢力を拘束排除する。国家意識の養成である。