小人閑居して不善を成してやろうじゃないか

Joe

このつまらない俺に暇を与えてごらんなさいw

生きるを考える

日記

叔父さんが亡くなった。

改めて生きるということを考えてみた。
もしも生きるということをただの生命維持活動ととらえないならば、
他人に自分の記憶を残すことととらえてみてはどうだろうか?
肉体が滅びてなお他人の心に残り続けるほどの強烈な記憶を
多くの人に残す。
笑っている自分。怒っている自分。真剣な自分。
好きな人にしか見せない自分。
覚えておきたいと思える人間であったか?
死んでもなお語られる自分であったか?
改めて自分を振り返り、律していこう。


  • Joe

    Joe

    2017/06/25 12:13:11

    >りゅーさん
    よくドラマで『俺なんて生きていても意味ないんだ!』とかいってるのを聞くと、『生きるということがわかってないな。考えたことないのかな?』って思っちゃいます。自分の生きている意味を他人に任せているような。同じように学ぶ意味も見失っている学生も多い気がします。義務教育から始まって、テストに出るから覚え、みんなが行くから大学に行き。そうして他人から動機を与えられて二十数年間経つとむしろそっちの方が当たり前かもしれませんね。そして世の中が実際はそうでないことを気づいてから本当の学習がはじまる。生きることを問うのはまた先に繰り延べられて、生や死に悩めども自分の中に答えがない。不幸な連鎖です。
    少しでも早く気づかせてあげたいものです。

  • 風のりゅーりゅー

    風のりゅーりゅー

    2017/06/25 01:37:42

    思うんだけど生と死はいつも隣り合わせか
    または表裏一体の関係だよね。
    生きているのに魂は死んでいる人・・・
    死してなお、人々の心に生き続ける人・・・
    どちらを選ぶかはその人次第かも知れないけど
    生まれて来た事に意味があるとしたら
    自分の命に意味を持たせるのは
    自分自身の責任であり義務であり
    命への愛である、とおれは思います。
    Joeさんもそうだよね?^^
    叔父さんのご冥福、心よりお祈り申し上げます。