その3 土笛と銅鐸 『銅鐸民族の悲劇』
その3
第4の疑問 さきたま古墳出土の土笛と銅鐸
『銅鐸民族の悲劇 戦慄の古墳時代を読む』を読んだことで
あやふやな、なんだかわからないけど変だという気持ちを
表現できる言葉を持てた
さきたま古墳群からの出土品に「土笛」がある
レプリカをひとつ買ってある
売っていたお店は愛宕山古墳の中にあったが今はもうない
江戸時代、田だった古墳跡から出土したものだそうだ
古墳を作ったときに使われていたものかどうかは不明だが
「呼子ではないか?」と店主から聞いた
レプリカでは単調で高音だが
出土した土笛の音を聞きたいものだ
土笛の紋様は銅鐸の紋様に酷似している
土笛はすべすべしていて金属のような手触りがする
手のひらにすっぽり入る丸いフォルムが心地よい
緑色の地肌に銅鐸と酷似している模様が刻まれている
銅鐸を作っていた時代に
すでに土笛はあったのかもしれない
大がかりな精錬技術の必要な銅鐸は製造されなくなったが
どこにでもある土を細工する土笛は残った
音は「情報伝達」として使われてきた
銅鐸をなんの目的で使っていたのかは不明だが
銅鐸の中に吊るす「ベロ」状のものが出土したり
外側の胴に叩き跡があるので
打ち鳴らされたものであろう
集団生活で必要な「情報伝達」の道具として
音は扱いやすい手段だ
声が届く範囲よりも遠い場所に情報を伝えることは
必要な集団生活技術だ
半鐘のように危険を知らせ
釣鐘のように時刻を知らせ
信号のように音の形を決めておくことによって
状況や事態を伝える
さきたま古墳群を作った人たちは
銅鐸を作った人たちと同じ文化を持っていたのではないか
銅鐸は土笛よりもより遠くにより広い地域に音が届く
土笛は人が持ちやすく
銅鐸が届く範囲よりは
近い範囲の人同士の伝達道具として利用していたのではないか
このあたりで銅鐸か
あるいは銅鐸と土笛の間を埋める出土品があればなあと思わせるほど
銅鐸と土笛の紋様は似ている
第5の疑問
二子山古墳はもともと空堀だったが
古墳観光のため
堀に水が張られた
しかし、水を張ったことによって
一年たつかたたないうちに古墳が崩れ始めたため
古墳保存のため現在は空堀になっている
自然の丘や山なら水によって浸食されて形が変わって行く
しかし、築造物が水を張ったために形が崩れていくというのは
築造物としての土台が固められていない
盛り上げただけの人口丘だからだ
少なくとも鉄剣が治められていたように
小石をまばらに敷くぐらいのことは
してあってもよさそうじゃないか?
その跡がないということは
最初から、水を張る予定のない空堀だったんじゃないか?
第6の疑問
「丘」に盛り上げた土はこの堀を掘った土ではないか
小さな丘を作り始め
だんだんと大きくしていく
ただ積み上げるだけのうちにときがたち
こんな大きなものができるなら
例えば墓にしたら立派だろう
という気になるだろう
先に土の盛り上げがあって
次に転用していったのではないか
ピラミッドが作られたように
石室をまずつくり
そのうえに土を覆っていく
万葉集にあるように
墳墓の外回りには仕えていた人が生きたまま半身埋められ
殉死した
その凄惨な殺され方を見ていた残虐な時代だ
将軍山古墳の外側の段々には埴輪が並べられていたというが
それは、もしかしたら
人を埋め殺した後の墓標のようなものだったのか
自分の考えにぞっとする
「凄惨な神話」へと続く
大潮
2017/09/09 21:59:55
土笛も最初は出土したものを吹いて
音も似るように作ったそうです
同じ音になるように工夫したんだぞって
販売していた坂本屋さんでは言っていました
鉄剣は錆びだらけだったから
専門家に見てもらいに京都まで行くのに
荒縄でぐるぐる巻きにして
棚の上に放り投げたと
さきたま古墳公園の博物館でボランティアしているご本人から聞きました
たまねぎ
2017/09/09 19:20:25
当時の土笛の音、聞きたいですね~
といっても本物を吹くわけにはいかないから、
そこは現代の技術をもってして、音を再現できないのかしら。