今年は感想を書く訓練なのだ

吉春

自分の思った事、感じたままを人に伝える事って実は難しい。「なにそんなんで感動するわけ?」って事が往々にして起こりうるからだ。

どうにも止まらない、俺自慢な3人

小説/詩

この者たちがここへ住み着いたのは、はるか昔のことであった。
初めにやって来たものがあり、名前はまだなかった。
ところが、鎌倉に武士の都を築いた大層な男がおった。
この男は、周辺の荒武者を従えるため地方へ下って行った。

「荒武者よ、獲物はいずこか?」

「はい、あれにございます」

「ああ、何という事だ、これほどとは」

荒武者の指した方角には、すっくと立ちあがった姿があった。

「あれは、なんといふ?」

「マキにてそうろう」

男はこの後、これを嗜むようになり行事とした。
マキ狩りの始まりである。
なんか間違っている、とのご指摘は、まったくその通りである。
こうやってマキは、この地にありと、広く知られるようになった。
一行が立ち去ると、辺りを静けさが立ち込め、無限とも思え流れていった。
マキは寂しかった、その寂しさが色を薄め、明暗のみが姿を支配した。

やがて都では、末法思想が広がり、その波が押し寄せてきた。
浪波しぶきをあげて風に乗り、二番目のものを連れてきた。

「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の飛沫(しぶき)あり」

この文言が、このものの徳の高さが窺われる思議とあいなった。
しかしこの思議は、常ならざるを持つ故、及ばざるシギとなった。

「おまえ、それを言うなら『響き』だろ」

あたりの静けさを受けて、無情に浸っていたこのシギは驚いた。

「そ、そうとも言うが、ともよ」

「何がそうともだ、言いシギだろ」

こうやって、2番目のものは静けさの中に、わずかな安らぎを覚えた。
名をシギと呼ばれ、ちょっぴり嬉しかった。

この会話には、年輪を重ねた者のみが持つ、一種の冬の到来を覚えた。
あたりは一瞬にして、葉が落ちて花を失い、静けさを加速して凍り付けた。
そこへ3番目のものがやって来た。

「どうしたことか、未だかつてこのような寂しさは、味わった事がない」

「おい、お前、やって来たばかりで、何の寂しさを語れよう」

こう言い放つシギに、マキが割って入った。

「そう言うおまえモナー、俺の方が寂しさ先輩だ」

どうも寂しい先輩の方が、偉いのだと言いたいようであるが、違いを感じる男もいる。

「ウラだって、のこのこ此処へやって来たわけじゃあない」

「なにがウラだ、せめてオラと言え、この田舎もんが」

何だか訳の分からない言い争いに、シギを制しウラに提案した。

「自分がどんな寂しさを経験したか、ケリを付けようじゃないか」

「望むところだ、マキよ」

「なかなか良い考えだ、ウラも賛成する」


こうして三者三様の、俺自慢が始まった。

まずワシからだ

「さびしさは その色としも なかりけり」

「どうだ、これでケリを付けよう」

「何だよ、ギャグ自慢かよ」

マキに突っ込みを入れて、続けるシギ

「心なき 身にもあはれは 知られけり」

「お二人さん、それでもケリを付けてるつもりですか」

「ウラのを聞けば、考えも変わるはず」

ウラの余裕は、都仕込みであった。

「見渡せば 花も紅葉も なかりけり」

「何だよ、そんなの、まんまじゃねえか」

「そうだそうだ、シギのいう通りだ」

このもの達の会話をよそに、透き通るような風が渡っていった。
黄昏はやがて赤みを帯び、秋の夕暮れが、一層このもの達の寂しさを引き立てた。

おしまい