いまさら横浜市長選の話 前半
衆院選も困ったものですけどね。でもまあ混乱した方が、端的に色々見えるという考え方もあるので、それはそれかと思います。
それにしても民進党の前原さんの見苦しさは目に余ります。昔から大嫌いでしたが。ちなみに民進党の(元)幹部という意味では細野さんも大嫌いでした。
何が嫌いなのか?
端的に言えば、顔が嫌いw
いや、ふざけていませんし、別に人相学に入れ込んでいるわけでもありませんが、私は人の顔つきはそのままその人のメンタリティも相当程度に代弁していると思っています。もちろんそれは、純粋な顔の造作だけではなく、表情なども含めてです。そこに更に、声色、身振り仕草から、服装まで含めて、それら外見は全てその人の人となりと、社会とのコミットの仕方を表しています。私は、人間は見た目で判断するものだと明確に思っています。
今は会社の採用活動には関与していませんが(またしなくちゃならない様子で嫌)例えば面接の時、私は応募してきた人が部屋に入って30秒以内くらいで、その人を次のステップに進めるか否かの判断を、60%~70%くらい終えてしまっています。そのあと最初の自己紹介と志望動機などを簡単に聞き終わったあたりで、もう90%くらいは判断が終わってますw 残りの時間は、その確認と詳細判断でしかありませんでした。。。
さて本題ですが…
先日おこなわれた横浜市長選は、残念ながら現職が再選を果たして終わりました。…という物言いから分かる通り、私は現職に入れていません。なぜ現職の林市長ではダメなのかは明確なのですが、ちょっと話が長くなります。
先日の横浜市長選では、いわゆる”争点”が乏しかったのですが、その中でも一番の争点はカジノの誘致でした。現職は基本的にカジノ誘致に積極的。他の2候補はカジノ反対。横浜の世論調査としてはカジノNGが大勢なので、選挙の際は現職はカジノ関連についてまったくのノータッチで、その話題は完全に隠していました。
横浜市民への色々な世論調査の結果は、先述のとおりカジノ反対が主流です。つまり、その世論調査の結果をスライドさせれば、現職は当選できなかったはずです。にもかからわず、圧倒的な得票数で現職の林さんが当選を果たしました。
そこから想定できることは、ただ一つしかありません。
要するに、有権者は個々の候補者の政策などおよそ理解していない、というか知らずに投票をしている、といことに他なりません。カジノは反対だが、林市長がカジノ推進派だとは知らなかった、選挙対策でそこに触れないでいる、ということ知らなかった、ということです。
個別の課題として問いかければ「カジノ反対」と市民は答えるものの、現職の林市長がカジノ推進派だということは知らない。そして林市長自体は、その任期中に目ぼしく分かりやすい成果もないかわりに、変なスキャンダルなどもなく、特にネガティブなことはない。だからとりあえず現職で、という積極的ではない現状維持としてなんとなく投票しただけ、という消極的な信任投票が市民の行動の大勢であったことが、身も蓋もなく露呈したのが今回の市長選でした。
余談ですが、林さんになってから一番のトピックは、保育園の待機児童ゼロかもしれませんが、あれもゼロになるように数えただけのことで、実際にはゼロではありません。というか、やたらに保育園を作り過ぎて、全体の実態としては足りてないのに、一部では定員割れを起こすという訳の分からないことになっています。まあ、そんな個別の話を市長の責任にするのもどうかという話はありますが。実際の計画と実行は職員がやるわけですからね。
ついでに言うと、さきほど林市長に目立った成果もないとは言ったものの、正確には「林市長がこの二期八年で何の実績を残したのかというと、実は私は全く何も認識できていない」ということになります。もちろんそこには私の情報収集不足も当然あるはずで、実は私が全く気が付いていない成果はたくさんあるのかもしれません。ですから、それを評価対象に出来ないまま実績は何もないと言うのも心苦しいけれど、しかし「知らしめられていない」ものは如何ともしがたいというのが怠惰な一般市民の姿だという事で。。。
さて、選挙になると必ず「争点は何だ」という話になります。いや、それは当たり前だろうと思われるかもしれませんが、私は全くそうは思いません。なぜ争点が必要なのか。それは、その方が分かりやすいからです。明示された争点に対して、〇か×か。問いも回答も用意されていて、それに対する〇か×かの2択の選択。
政治とは、そういうものなのですか?
市長、それも横浜という巨大な自治区の長を決めるような選挙とは、そういうものなのですか?
私は違うと思います。
今回の市長選には、”カジノをどうするか”以外にも、”みなとみらい地区をどうする”とか、”学校給食をどうする”とか、個別具体的な争点はあるにはありました。しかし横浜に限らず市長選挙だとか、よりフレームの大きな国政選挙などに於いては、実はそういった個別事案よりも重要なことがあるはずです。それは(市長選で言うなら)「そもそも地方自治とは何で、その中で横浜という一地方をどうするのか」という個別事案以前の、横浜という地方自治のそもそも論としての在り様が如何に示されるのか、ということです。
それは、企業で言えば企業理念だとか企業ポリシーにあたるようなこと。その理念に基づき行動指針が示され、行動指針を守りながら理念を実現するために、具体的な活動目標や課題設定を行い、その目的達成のための活動計画を立て、そして実際の日々の業務遂行が行われていくわけですが、それは市政であっても同じこと。カジノがどうとかは、いわばすべて途中結果としてのKPIであり、そのベースとなるKGIやCSF、さらにその基本となる企業ポリシーや企業理念が示されないような市長選挙などあり得ないわけです。
「争点は何か?」
議員選挙ならいざ知らず、市長選挙がこの言葉で語られること自体が本来はおかしいのです。横浜とは何か、その「何」を実現するために必要な要件はどういうものか、その問いに対する回答の評価が選挙でまず問われるべきことで、次にその回答をどう実現するのか、その大きな要件や方向性が考えられているのかどうか。争点などという矮小化した細かい論点ではないはずです。
割り切って言ってしまえば、「横浜とは何か」に対する強い意思と、それを目指すための具体性のある方向性さえ示されていれば、その個別の実現手段など、市長選に於いてはどうだっていいのです。「長を決める」というのは、そういうことなのです。そして、それらが全く見えてこないのは、この横浜市長選においては現職の林市長だったのです。
ダイエーやBMW東京などの社長を歴任した林市長には、当初から敏腕ビジネスマンとしての実績を期待しての後押しがありましたが、私は懐疑的でした。あえて誤解を恐れず言えば、林市長は優秀な販売員ではあったかもしれないが、優秀な営業マンではなかっただろうと思っていたからです。