脳活日誌958号
今日は眠い。
朝4時45分の起床が2日続き、寝不足が蓄積されてきた。居候が早出出勤のシフトに入ったからだ。居候は簡単な朝食を食べ、シャワーをしてから出かけるのだが、玄関のカギを内側からかけるのが私の仕事である。この後、コーヒーを淹れるためにお湯を沸かし、仏壇に挨拶をしてから朝食の準備をする。奥さんはといえば、夜型で秋の「さおり展」の準備で忙しいから、居候の出勤の見届けは私の役目となっている。毎日、同じことを繰り返している。玉子を焼いて、レタスなど野菜サラダを作ってヨーグルトやバナナ、昆布水を出してくるだけだ。一段落して淹れたてのコーヒーは美味しいねー。フレッシュは入れるが、砂糖は使わない。干しブドウを食べている。干しブドウは砂糖の代わりになって、コーヒーに合う食べものである。
季節の果物と言えば、柿が美味しい。プチトマトは値段が高くなってきた。夏場は玄関前で栽培できたが、これから季節外になるのでプチトマトは買っている。「アルツパンチ」という飲みものを飲んでいる。ボケ対策の飲み物らしいのだが、ボケだけは効果のあるなしの実証が難しので、まあ、気休めだろう。高齢化社会になっていけば、国民の大半がボケ現象の網にかかってくる。頭だけ元気に保つことは至難の技だろう。何故なら、筋力が衰えるのと同じように脳細胞や脳内の神経が劣化してくるのは避けられない。治療と言っても、進行を若干緩める程度であろう。鏡を見て、顔も年相応になってきたと思うだろう。これと同じで脳も老けてきている。ただ、脳内を鏡に映し出せないだけである。
三浦哲朗の短編に『みのむし』という作品がある。入院中の老婆が医師に言われて、歩けるうちに一晩だけ家に帰ることを勧められる。倅は東京へ出稼ぎに行っていない。一人の孫がいるのだが、板前の修行をすると言って大坂へ行ってしまった。倅の嫁は実家に帰ってしまった。すべての原因は異常気象による農作物の不作によるものである。一家離散である。物語の結末はここで書けない。作品の種明かしをすると小説の価値がなくなるからだ。30分あれば、この短編は読める。まさに珠玉である。ボケるということは、どんな現象なのか。