ごま塩ニシン

脳活日誌964号

日記

   生活に法則はあるのか。
 毎日の生活に法則と言うようなものはあるのか。生活は食べて寝て、洗濯して買い物して、おしゃれして・・・結婚して、子育てして、やがて年を取っていく。いうなれば、仏陀が言った「生老病死」が全てなのだろうか。このテーゼに対案は考えられない。なぜなら、やがて体力がなくなり、死ぬことは確実なのである。いくら化粧を丁寧にしていても、肌の老化は防げない。あの赤ちゃんのようなもち肌を維持することはできない。ということは人には何らかの法則が働いていて、この法則に基づいて生活し、やがて地上から消えていく。消えたくないと強情に粘っていても、朽ち果てていくしかない。

 人間と植物は同じであると恩師である先生は言っていた。花の一生は短い。春に咲く花。秋に咲く花。パッと咲いて、何も言わずに散っていく。しかし、先生、花は何年にもわたって、咲き続けるではありませんか。今年、散っても、来年の春には再び咲くことができる。でも、人間は再び咲くことはない。一度きりだ。人間にとって春は一度しかない。夏に成長して、秋に実を付ける。寒い冬は人生の終焉になる。若い時の、もち肌の新芽の時は一度きりだ。このように考えると、人間は瞬間、一瞬に生きていくしかない。目の前の時間は二度とやってこない。一度きりなのである。

 肉体の老化と並行して精神の衰退もあるとされているが、精神面は若さを維持しようと思えば、ある程度可能のように思えてならない。これしかない。思いを、夢や希望を持って生きていくしかない。よぼよぼになった御婆ちゃんの言っていることが若々しく思える時がある。これだ。少しでも脳を鍛えて、若々しい精神を保っていきたいという欲求を持つしかない。生命の法則からは逃れられない。この世と違う浄土界があるとは思えない。信じることによって救われるというから、有ると思えばいいわけだが、どうも素直になれない。なぜなら、この世は死ぬにせよ、お金が要る。無料で浄土へは行けない。迷惑をかけないためにも葬式代のでる保険に入れというのか。結局のところ生きるとは、経済的なことに支配されているということか。こんな無味乾燥な愚痴を考えるのも、生きていく条件かもしれない。

  • くろまめ

    くろまめ

    2017/10/30 21:09:01

    こんばんは。
    昨晩から強い雨風で目が覚めました。
    新潟ではそんなに珍しくないので(特に冬)
    慣れっこですが全国的に風が強かったようですね?
    夜は空から白鳥の声が聞こえるようになり
    今日は夕方霰がパラリと降りました。
    いよいよ冬の訪れですね?
    寒くなってきましたがご自愛くださいね。