ごま塩ニシン

脳活日誌967号

日記

   恐怖の恐怖。
 恐ろしい出来事が多すぎる。これは日本人の心の揺れ現象かもしれない。これまで起こったことのない恐怖事件が列島を震撼させている。そもそも自殺願望というものが分からない。それも一人で死ぬのは寂しいから、誰かと一緒に死にたい。こうした心理が理解できない。死にたいほど苦しい、死にたいほど仕事が辛いという場合、「死にたい」という言葉は死んでしまうことではない。選択肢の一つでもない。単なる強調表現でしかない。言葉に溺れてしまってはいけない。死ぬほど恐ろしい目に遭ったとしてもだ。

 恐ろしいことを見たり、聞いたりするだけで身の毛がよだつ。思い出すだけで恐ろしい。食事も食べられない。人間は感性で生きている。眼、鼻、喉、耳、口や皮膚呼吸で生活している。恐ろしい目に合うと、この感性が引きつってしまう。口も聞けなくなってしまう。二度と恐ろしいものを見たくないと震える。恐怖に襲われると体が硬直して、わなわなと震えが止まらなくなるのが普通である。夜、墓場へ行くのは怖い。何が恐いか。いきなり腕を掴まれたり、足を掴まれたりする恐怖である。失神しても当たり前である。異常な雰囲気の下で平気でいられるのが不思議でならない。

 人間の感性は見たり聞いたりする出来事に刺激されながら、脳の中で感情を養っているのである。それも社会的な人間関係の中で自分の感情をコントロールしている。異常な出来事に出くわすと、この感情のバランスが崩れてしまう。気分が悪くなったりする。これが正常である。恐ろしいことをしたとか、怖いものを見たなら、体に震えがきて当たり前であるのに、まるで何事もなかったように生活できるというのが不思議でならない。感性の反応に個人差があっても、恐ろしものに接したならば、恐怖心のあまり、必ず思い顔に現れるである。「あんた、ちょっと変よ。」と周囲の人から言われるはずである。それなのに平気でいられるというのは、不思議でならない。これは理解以前の問題かもしれない。人間が人間に危害を加える。こんなことが、どうして現象してくるのだろうか。罪の意識がないだけでは、収まりがつかない。

  • みき

    みき

    2017/11/03 10:16:10

    ごま塩ニシンさん、おはようございます。

    本当に、普通の感覚では理解できない事件が多すぎます。
    私は、神さまが私たちをこの世に生かしてくださっている間は、まだこの世でやることが残っている、そう思っています。
    そう、「生かしてくださっている」んですよね。
    「生きている」んじゃないんです。

    この宇宙の中で、今この時に生を与えられているということ自体が、奇跡といってもいいくらいの出来事なんです。

    「生かしてくださっている」
    私の存在自体が奇跡なら、周囲の人達もみんな、奇跡といっていい存在なんです。
    そう思えば、命を粗末にすることはできない、と思うんですけれど。