脳活日誌1000号
記念の号になった。
千号を迎えるとは、自分ながら、よく続けられたと感じている。他の人のブロブを見ると、ニコッとが始まって以来、ズ~と書き続けている人が多数いるので千号になったからと言って、大きな顔はできない。続けていくことに苦痛というか、負担がないかと言えば、決して楽ではなかった。続けていきたいという気持と、止めて別のことをしてもいいのではないかという意識とが均衡していることは確かである。けれども、多少の負担はあっても、強引に継続していけば、何かが生まれるのではないかという自分に対する叱咤激励があることも事実である。
タイトルにしている脳活に多少なりとも、役立っているのではないかと信じたい。脳の活性化と言っても、指数で評価されるわけではないから、本当に脳が年齢の割にはエンジンを吹かしてくれているのか、よく分からないが、頭が痛くなることも無いのでリラックスできているのだろうと思いたい。デイサービスなんかへ行くと、学校のテストみたいな問題をさせているところもあるが、実際に、7年前に亡くなった母親もデイサービスへ行って、国語や歴史の問題用紙を持ち帰って来たものであるが、脳というのは古い出来事の記憶を復習するだけで活性化していくという考え方に私は馴染めないのである。確かに鎌倉の大仏と飛鳥大仏と東大寺の大仏の背の高さを比較した時、どの大仏像が一番高いですか?背の高い順に並べなさい、という問題に正解ができたとしても、脳が活性化できたとは思えない。知ってる人はいるだろう。知らない人もいるかもしれない。しかし、この種の問題はたまたま知っていたから正解だきたというだけでしかない。この回答で学ぶべきものは何もない。時間がたって忘れたら、お終いである。
それよりか、あるものの中から何かを想像してみる。この創造に正解はない。各自が思い浮かべることが自由である以上、想像は無限になる。俺は、これが好きなのであるというのがいい。答えのない答えを想像していくことが脳の活性化につながるように思えてならない。与えられた言葉から新語を生み出す想像力が必要ではないだろうか。脳活日誌と並行して、小説のジャンルへ挑戦します。