ごま塩ニシン

封印された遺書(7)

小説/詩

 一人で考えて苦しく感じることでも、他人との会話で、自分の悩み事が意外にも小さなことに思えてくることがある。君岡は北野から一般的な事例だと指摘されたことで肩の荷が下りた気になった。弟の事業の行き詰まりによる資金難は母親が父の死亡によって得た保険金と母がコツコツと蓄えてきた貯金で解決できることになった。1か月後、古屋弁護士事務所に君岡と母、弟の宗則の三人が集まって、決めごとを古屋弁護士立ち合いのもと文章化して合意した。これに伴って、君岡が母と一緒に住んでいる住宅の土地と建物は長男君岡健太の単独の名義となったのであった。
「これで私の貯金も空っぽになったからね。私の老後の面倒は、誰がみてくれることになあるのか。健太、お前がしっかりしてくれんと困るよ。」
 母がこう言った時、側にいた妙子は健太の太ももを力一杯に捻った。内出血するくらい強い力であった。妙子にしてみたら、貧乏くじを引いたと思った。弟は、駄々をこねて、金だけ母親から引き出したという印象しか残らなかった。君岡は、母は一文無しになったと宣言したけれども、言葉をまともに受け取っていなかった。相続の件が纏まると、憂さ晴らしのつもりか、親しくしている知人と温泉旅行に出掛けたのも、余裕の表われではないかと推測できた。母は自分なりに計算してお金の出し入れをしている筈である。決して、健太に小遣いをくれなどと言ったことがなかった。
 秋になると、バスの添乗など忙しい時期に突入し、北野の『よろず生活館』へパンフレットを届ける時間的余裕がなくなった。パンフレットをダンボールにつめて宅急便で送るようになった。秋は会社の慰安旅行だけでなく、個人やグループが頻繁に動くので君岡の頭の中で北野の『よろず生活館』のことは薄れて行った。紅葉シーズンが終わると冬の味覚とスキーシーズンがやってくる。旅行業界にとって秋から年末のかけては稼ぎ時であった。また、各地で開催される有名な祭り行事や花火大会もある。学校関係の旅行だけでなく、政治家の後援会がらみの旅行も重なって、1年で一番多忙なシーズンに突入していた。
 12月中旬であった。年賀はがきの住所書きをしなければと思っていた時、北野の喪中ハガキが着いたのであった。あまりの突然すぎる訃報に何かの間違いではないかと信じられなかった。電話をしても通じなかった。この時、君岡は北野の『よろず生活館』のことは知っているが、彼の個人的な情報が何も知らないことを初めて知った。

  • 吉春

    吉春

    2017/12/16 18:33:42

    ごま塩ニシンさん
    いつぞやはコメントありがとうございます。
    早速ですが、私からのコメントなどさせていただきます。

    >北野とは、学生運動の華々しかった六十年代の仲間であったが……
    ここからが回想部分なのですね。

    >去年の今頃だったと君岡は振り返った。
    >あの後、北野の奥さんはどのようにしたのだろうか。
    そして、冒頭部分のここへ『封印された遺書(7)』では戻ってきた。
    ”北野の奥さんはどのようにしたのだろうか。”?
    気になるこの話が続くと思われますが楽しみです。
    私の方の物語は、数行の伝説から膨らませての創作で難航しております。

    >黒髪山は私の住んでいる奈良にもあります。
    との事ですが『闇龗神(くらおかみ)』に関係するのでしょうか?
    地元では、くらおかみ>くろかみと読みが変化して、
    それに合わせてか黒髪と漢字を当てたらしいのですが。
    執筆が進みますように。