ごま塩ニシン

すれ違った影の交錯(4)

小説/詩

 明美は、信彦が永遠に日本に戻ってこない気がした。信彦が避けているというより明美から逃げたように思えてならなかった。明美が北野政頼と結婚し、2年後に浩美を出産した直後であった。信彦から「今、シンガポールにいる。」と電話をかけてきたのだ。この時、明美は「私の産んだ子は信彦さんの子供ですから。」と宣告したのであった。
「アホか。なんで俺の子供やねん。お前と寝たのは一度きりや。絶対に、あれきりの関係やったやないか。妊娠するわけないやろう。」
「なに言ってるの。女には分かるの。一度きりでも、あれっきりでも女には分かるのやから。はっきり、言って、あなたに責任があります。」
「俺に、そんなこと言うて、旦那の北野さんに失礼やろう。北野さんは、このことについて知っているのか。お前が旦那に打ち明けたのか。」
「北野には何も言っていません。こんなこと絶対に言えませんから。」
「何を無責任なことを言うてるんや。母としての自覚を持て。浩美は北野旦那の子供に間違いない。俺の子供やなんて、寝ぼけたこというのやったら、俺はシンガポールで死ぬまで生活するから。日本へ帰らんから。」
  過去の信彦との関係について明美は母の千代乃にも、一切言っていない。今は遺伝子検査で浩美が誰の子であるのか、判定できないことはない。だが、血縁関係がないと言っても、義兄との関係について明かすことはできない。浩美の顔を見るたびに明美は信彦のことを瞬間的に思い出しては煩悶してしまう。
「昨日の夕方、ちょっとだけやったが、浩美ちゃん寄ってくれたよ。」
 千代乃が回想するように言った。それから何か感づいたのか、ベッドサイドのテーブルに載っていたコップのお茶を口に運んだ。
「時間があったら、帰り道にお母さんの様子を見て来てと、頼んでおいたの。あの子は、よっぽどのことがない限り、何にも言わないのよ。寄って来たよと一言いってくれたら、私も安心するのにね。」
「学園祭の準備で忙しいと言っていた。」
「文化祭の委員をしているの。誰に似たのか知らないが、世話焼きなのよ。」
「性格の明るい、いい娘やないか。もう、好きな人でもいるのか。」
「まだ、おらんのと違う。」と明美が否定すると、千代乃は頬を緩めて、半身を起こし、松葉杖を引き寄せてからトイレへ行った。