ごま塩ニシン

すれ違った影の交錯(5)

小説/詩

 北野と別れて明美は安堵している。北野とは虚空の結婚生活であった。一方で浩美を育てながら、北野の子供ではないという自責の念にさいなまれてきた。北野は組合活動をしていたから帰宅時間も遅く、実際のところ自分は誰と結婚したのだろうかと何度も反問してきた。意を決して、「お母さんは、性格的にお父さんと合わないから、別れたいと思っているの。浩美はどう思う。」と娘に単刀直入に提案した時、「お父さんは、家にほとんど居ないから、お母さんの気持ちがわかる。」このように理解をしてくれたのが何より嬉しかった。別れることについて北野と話し合うたびに揉めたが、問題点は浩美に北野姓を引き継いでもらって、北野の兄である北野圭太の養女にできないかということだけであった。
 もし、浩美が北野政頼の本当の子供であれば、承服できないこともなかったかもしれないが、彼の子供でもない浩美を兄の北野圭太の養女にすることは筋が通らないものであった。明美は北野に「実はあなたの子供ではない。」とはっきり打ち合明ければ、北野が驚愕するだろうが、別れる明白な理由付けになる。全てを公開するのもいいが、傷つくのは浩美だけでなく、明美の母も寝耳に水で、きっと呆れ果てるに違いなかった。古屋弁護士からは再三にわたって、北野の残した明美宛の遺言書を受け取ってもらいたいと要請してきたが、明美はどうしても受け取る気になれなかった。
 母がトイレから戻って来た。自分を叱咤するように「どうしても動作が思うようにいかない。」と千代乃は言った。長らく待たせましたという意味である。
「早く春になって、佐治川の桜が咲いたら、きれいになるのに。」
 明美は千代乃の洗濯物を手提げ袋に入れて、病院を出た。
 気持ちの上では遺書の受け取りを拒否しているが、心底は全く興味がないわけではない。北野が死の直前に書いたのだろうが、一体に何を言いたかったのか、関心がないわけではない。北野は兄の意向を汲んで、浩美を北野圭太の養女として北野家の資産を受け継いでほしいと遺書に書き残したのではないかと推理していた。想定されることと言えば、北野家の継承しかない。これ以外に何があるというのであろうか。
 時間の経過は人の気持ちをやわらげていく。無関心でいるつもりでも、心のどこかで、こだわりをもっているのであろう。北野の魂が、裏切られた女に対する執念として明美に纏いついてくるようでもあった。