脳活日誌1019号
今年最後の掃除。
過ぎ去った1年の煤払い。総合的には現状維持というより一歩後退した1年でしたが、2018年は、一発(いち、ぱつ)何かできそうな気がする。過去の負を背負わずに前向きに1歩、出てみたい。アクションを起こさないと、変化は出てこない。出る杭は打たれると言われるが、これは正しい。なぜなら、出なければ、撃たれることも無かったということになる。雉も鳴かずば撃たれまいというのと同じである。鳴かなければ、のど自慢にも出られない。参加権を買わなければ、見ることもできない。無駄と分かっていても、何か自分なりに仕掛ける。これが肝心である。
ただし、受け身と能動の使い分けをしっかりしておかないと、悪いマヌーバーにやられてしまうことになる。バカではいけない。知恵を使ったやり方である。今の時代は、何かするにしても、ネットや監視カメラで見る以上に見られている。する、られるの相互作用で生活している。眺めているだけではいけない。どこかに、ニッチがある筈である。大きなことでも原理は単純である。パソコン、タブレット、スマホやAIにしても、CPUが心臓である。IoTと言っても、中央演算処理装置が管理している訳であって、根本は一つなのだ。膨大なネット網と言っても、推進力があって初めて作動するわけだから、この得体の知れない巨大怪獣に一矢報いるべく立ち向かっていかなければならない。
跳ね飛ばされても、挑戦するしかないのである。生きていくことは挑戦である。意識するか、しないかは別問題である。何かに向かって、生きている以上、せめて相手の後ろ姿だけでも見届ける必要があるだろう。闇雲に打ち負かされるよりは、出来損ないであっても、仕事人になれ!これしかない。仕事人が嫌いな場合には、見届け人になれと言いたい。見届け人とは決定的な映像を目に焼き付けることである。ユーチューブの時代である。見届けた証拠に映像を世界中に流せば、この地球を揺るがせることもできるかもしれない。これは空想かもしれない。一足早い初夢を見たと思えば、いいのである。人生、考えよう。元気になれるように脳を自ら操作せよ。
みき
2018/01/01 11:26:20
あけましておめでとうございます。
昨年は大変お世話になりました。
本年もよろしくお願いいたします。
生きていれば、毎日何かが起こります。
でも、その起こること自体には、幸運・不運の性格は持っていないと聞きました。
その出来事を幸運と取るか不幸と取るかは、受け取る人の心がけ次第、って。
どんなことも、そこから何かをつかみ取るような受け取り方をしていきたいです。
2018年。
新しい年。
この1年がステキなことでいっぱいの年になりますように・・・♥