脳活日誌1029号
本日は晴天なり。
雨が降った次の日の晴は気分爽快である。温めたり、冷やしたり、風が吹いたり、雪になったりで自然様は実に変化に富んでいるというか、気遣いが変幻なり。ところで、大野晋著『日本語の年輪』(新潮文庫)を読んでいると、この「自然」という言葉はヤマト言葉にはなかったと書いている。「それは、古代の日本人が、『自然』を人間に対立する一つのものとして、対象として捉えていなかったからであろう」と述べている。また、ヨーロッパ人にとっては、「自然は、人間がそれに働きかけ、変革し、破壊し、人間に役立つものを作り出す素材である。」と考えていた。ところが、日本人は自然を人間のために利用するというよりも、「自分の生活の中に自然を持ち込んで」、「自然を移し入れる。いつも自然と共にあること、これが日本人の自然に対する対し方である。」と言っている。「『自然』と溶け合い、『自然』に対して自と他という、はっきりした区別を持たない。」これが日本人であると言っている。実に傾聴すべき認識スタンスではなかろうか。
これは日本人の源流を探すことにもなる。言葉の変遷というよりも、日本人の成り立ちを考える上で極めて重要な視点でもある。最近はスマホなどの発達によって、国境なき時代になってきているが、こうした中で日本人としての自覚なり、意識を考える時に常に考えていかなければならない問題でもある。破壊の対象として自然を見るのではなく、自然の中に溶け込んで、自然の力を自分の中に取り入れて生活していくことが大切のように思う。簡単に言えば、納豆を食べたり、塩こうじを活用したり、日本酒をたしなんだり、盆栽の趣味をもったり、箱庭が好きだったりと身近な生活の中で日本人は生活の仕方を身につけているではないか。
アメショ
2018/01/12 10:39:41
DNA小説の次は「自然」と「加工」ですかね。
これ、農業に使って欲しい。「へにゃ」な、キュウリや、キャベツは、加工だぜ。
そいからさ、
佐々木 常夫氏いわく
「欲を持ちなさい!」に含まれるだろう。