ごま塩ニシン

おすがり地蔵尊秘話(1)

自作小説

 私は推理小説を書きたいと思った。推理小説というのは、結局のところ人をどのように殺すのか、その殺害方法と犯人の探索がテーマになると考えるが、凶器とか暴力によって人を殺害するという凶悪なことは、自分の性格からして、とうてい容認できない。そんな怖いことはできない。それでは、どうすればいいのだろうか。毒殺という手法があると思った。人類の歴史上で毒殺されたのではないかという歴史上の人物もいるではないか。こんなことを考えて、図書館の書架を探していると、図化シリーズで有名な出版社が出している『毒の科学』という本が目に留まった。著者は船山信次である。カラー図鑑なので分かりやすい。私は、この本以外にも有毒・有害物質に関する辞典的な本など三冊を借りて家に帰った。
 こうしたジャンルの本を読むのは初めてなので、パソコンの横に積み上げ、パラパラと拾い読みしていると自分の意識が本の内容に吸い込まれていくような興奮を覚えてくるのであった。毒の致死量とか幻覚作用とか、紙一重の領域であった。あんまり気分が昂ぶってくるので、コーヒーを淹れて、ブラックチョコを口に含みながら、一息入れた。この時、私の頭に妻の秀子のことが不意に浮かんできたのである。妻に誤解されて、夫が妻を殺そうとしているのではないかと思われないとも限らない。こう思うと、本の表紙を生のままに曝け出しておくことは曲解のもとになると咄嗟に判断した。そこで本にカバーを付けようと考えた。適当な紙がなかったので引き出しを開けると、母が亡くなった時、葬儀社から送ってきた封筒が見つかった。厚手の紙なので透き通らないし、丈夫であった。ハサミで本のサイズに合わせてブックカバーにしたのであった。
 毒というものは実に身近なものに多数存在しているということを知った。これは習得した知識として最大の価値があるものに思えた。語学が堪能になって役立てると言ったものではない。毒の知識は役立てるというより、習得した知識でもって日常生活の中で警戒心を高める防波堤にしていくということだろう。それにしても、本から目を離して、ひとつ間違えると大変なことになるという恐怖心が植え付けられたことも事実であった。毒と薬の関係に似ている。知識は狂気にもなる。いろんなことが頭の中を駆け巡っていくのであった。完全犯罪と毒さらに毒の検査機器についても考えておく必要がある。私の創作意欲は毒という知識の注入で脳が異様に活気づくのであった。