ごま塩ニシン

おすがり地蔵尊秘話(15)

自作小説

「あなた。出ていくって、本当なの。」
 久しぶりに私は妻の声を聴いた。声が喉に詰まっているのか、他人が遠くで話しているように思えた。
「ああ。お前も、なんだ。優子の家におれば、気を遣うだろうから。しばらくの間でいいから、別居するのがいいと思ってさ。適当な家を駅前の不動産屋が紹介してくれたものだから、だいたい決めようかと思っている。」
 私がこう言うと、妻の秀子は深呼吸でもしているのか、息を吐く振動が伝わってきそうであった。
「出て行くって、どこへ行くのさ。」
「玄峰寺という寺、知ってるか。市バスで十五分くらい行ったところだ。田舎の小さな檀家寺だから、知らないだろうけれども、そこの近所だ。まあ、何だな、俺の身の回りの物や本を多少、段ボールに詰めて、手続きがすめば出掛けるから。2~3日後には家を出て行く。お前も、なんだな、季節も変わってくるから、着替えるものもいるだろう。先方へ着いたら連絡するから。そうしたら、早く家に帰って来いよ。家の中は、前のままだから。何にも変わっていないから。家に帰れば、気分も落ち着くだろうから、また、考えも変わってくると思うよ。」
 私が、このように言うと、秀子の荒い息遣いが感じられた。
「じゃあ、ね。今、言ったようにしたから。電話は切るから。」
 念を押すように妻に言ったが、秀子は何も言わなかった。
 気分転換に私は駅裏の居酒屋へ出掛けた。体がアルコールを要求していた。行きつけの店で主人とは会話が合う。年齢も同年輩であるが、店主は自営の居酒屋を親父の代から受け継いでいる。何でもご先祖は赤穂浪士の藩士であったが、討ち入りには参加しなかったらしい。そういえば、藩論として仇討ちをするかどうかで藩士が二分されたと言われているが、反仇討派をご先祖に持っていますのや、と言って店主が頭をかいたことが印象的に残っている。仇討ちが藩士のすべてではない。反対した人もいたけれども、こうした人達の生き様はドラマにならないのだろう。この世の中は賛成、反対、中間穏健派の三派にわかれるものである。歴史に残るのは鮮明な印象を与えたグループだけである。だから、穏健な人間をモデルにして小説を書くのは難しいが、私は、まんざら興味がないわけではなかった。

  • アメショ

    アメショ

    2018/02/20 06:39:09

    確かに、穏健な人間をモデルにしてでは、小説が書けない。

    これ、AIにも、叩きつけたい。気持ち。