あれから7年 PARTⅡ
続きです。
2016年、避難指示を解除されるまで、両親は仮設住宅で過ごしてましたが、出入りや許可を取っての宿泊はできていました。
国道6号線が通行可能になり、常磐道の「南相馬I.C」ができたこともあり、2015年のお盆に娘二人と南相馬の実家に泊まりに行きました。
仮設では、泊るところがありませんからw
夜は、周りの家は当然人がいないわけですから、真っ暗です。
もともと、一番近いコンビニでも徒歩で10分以上かかりましたが、そのコンビニも侵入を防ぐためのベニヤ板を張り付けて、閉鎖されています。
すぐそばに常磐線があるにも関わらず、電車も走っていませんでした。
とても、静かでした。
毎年行っていた、海水浴場も、津波で流されたままでした。
去年の夏に行ったときは、近所の人も戻ってきている方が増えてました。
取り壊された家もあります。
常磐線は、試験運転ということで、無人の電車が日に何本か走ってます。
すれ違う車の数も、増えたような気がしました。
買い物はいまだに、車で20分ほどのところのスーパーに行ってるようです。
コンビニは、2件あった家の1件は2年ほど前から、営業を再開してるようです。
毎年、海水浴に行っていた、海水浴場を見てきました。
工事中にもかかわらず、サーファーが波に乗っていましたww
トイレと、シャワールームらしき建物ができていました。
それでも、両親は避難先などのことを考えると、ましな方だったと思います。
もっと大変な目にあった人はたくさん、いらっしゃるわけですから・・・・・
いまだに、元の家に帰れない方も・・・・・
元通りになるまで、あと何年かかるんでしょうね。
(元通りになることはないと、思ってますが・・・)
ここまで読んでくださった方、こんな話に付き合った下さり、ありがとうございました。
dolphin
2018/03/12 15:22:11
mickyさん、南相馬の方だったのですね。
ご実家は、原発の被害に遭われたのですね。
それはそれは大変なことでした。心からお見舞い申し上げます。
もう少し北の、山元町や新地のあたりでボランティア活動をしたことがありました。
常磐線の線路が跡形も無く流されてしまっているところもあったりして、
津波の恐ろしさを目の当たりにしました。
20km圏内では、いまだに屋根にブルーシートかかったままのお家があったり、
黒いビニールを掛けられた土の山があちこちにあったり・・・
あれ、どうするのでしょうね・・・
ボランティアはこのごろご無沙汰してしまっていますが、
いつかまた、かつて活動した街の様子など見に行きたいなと思っています。
りん
2018/03/12 10:53:41
あれから7年のところから、読ませていただきました。
考えさせられることは山ほどありますよね・・・。