徳川の旗印について。
旗印は、「風林火山」(武田家)とか「毘」(上杉家)は、とても有名ですけど、
私は、徳川家の旗印「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」は、おっかないと、思います。
だって、意訳すると「この世は、イヤだ!あの世に行きたい!」って。そんな旗印を持った団体が全力疾走で突っ込んで来るんですよ?
そう、徳川家康輩下の三河武士は、最強軍団の一つに数えられてます。えっ!?武田軍と上杉軍団しか知らないって?ま、川中島の合戦が有名ですケドね。命も惜しまない三河武士の強さも歴史通では、お馴染み。
ま、意訳は冗談だとしても、浄土宗の思想から来てます。本当の意味は、「この世がダメだから、美しい良い世の中にしよう!」です。
家康って、スーパーたぬき親父のイメージが、お有りの方が多いと思いますが、実は案外良い人かも?
私にとって、最強武士団は、島津家かと。関ヶ原の戦では、超劣勢から脱出するのに、わざわざ、三河武士団に突っ込んで死地を切り開いて行くんだから。
★も~たん★
2018/05/04 11:01:57
だから「三河レーシング」ってあだ名が付くくらい、この辺の人は運転が荒っぽいんだねww
無鉄砲で命知らずなところは先祖代々、受け継がれるんだと思います><
りょうちんO
2018/05/02 12:08:35
アレクサンドロス3世もユリウスカエサルも、同じ人間が小民族に別れいつまでも殺し合いをしていては意味が無いと、世界を統一し平和を築こうとしましたが失敗しました。
徳川家康が日本と云う狭い島国地域ですがそれを成功させ400年の間大きな戦争は起こりませんでしたね。
しかし、後半は政治の腐敗や海外の侵略(精神的侵略含む)により解体されました。
カエサルの残した言葉があるようです。
・始めたときは、それがどれほど善意から発したことであったとしても、時が経てば、そうではなくなる。
・人間とは噂の奴隷であり、しかもそれを、自分で望ましいと思う色をつけた形で信じてしまう。
紀元前にすでに解っていた事ですが、人間は過去の記憶を忘れて産まれてきますし、それが何かの目的・使命があるからなのかは不明ですが
満足を司る遺伝子は発見されており、そのパターンにより人の欲望も支配されているのであれば そこにも理由があるのでしょうね。
よいとら
2018/05/02 05:37:41
なるほどー。
だから穢土(江戸)に幕府を開いたのですね(うそ)
^^;;
たく
2018/05/01 18:24:06
同じ事が真田の6文銭にも言えますよね~
オイラがまだ学生の頃関ヶ原のその風習残ってました
妙円寺参りだったかな~
毎年20km程行軍するんですw
3年に一回は夜間行軍といって夜中に40km行軍しましたw
ホント夜中ずっと歩いて寺でお参りして朝頃帰ってくるぐらいでしたね~
今考えると凄い学校だわw
kiri
2018/05/01 09:02:29
大坂夏の陣の真田は、天王寺口の古墳に砦を築いて徳川勢を引きつけるだけ引きつけてから、徳川勢の背後をとって家康の本陣に突っ込んだのではないかと言われています。
ただ、古墳は発掘調査ができないから3Dデータでしか確認していないらしいです^^
真田に関しては、幡大介さんの「真田合戦記」1-6巻さらに続く。が戦国時代の風俗も書いてあって、外で話すとか立って話すのはマナー違反だったんだなってわかります。風俗は辞書を引けばわかるけど流行のことですよ^^武田に使える前から始まっていて川中島は善光寺の富の奪い合いからはじまったとか面白いです^^;;
かをる 元気!
2018/04/30 15:11:58
↓ あ!三河一向一揆の件、先に言われてしまった。流石ですね。kiriさん!
大坂夏の陣で真田に突破され、戦国時代を生き抜いた百戦錬磨の老武士が絶望のあまり、自害を覚悟したって事は、うっかり忘れていましたが…。
kiri
2018/04/30 14:57:24
三河軍団は本多、蜂屋、夏目など三河一向一揆で家康と戦った強者がいましたからね。一向一揆は「進者往生極楽 退者無間地獄」という浄土真宗の教え(親鸞は生前成仏を主張)を徹底していたから強いはずです。命を惜しんで信仰を捨てると無間地獄へいくってことですからね。
真田の六文銭も一説では三途の川の渡し賃って言われますし(違う意味で月に6回の市場を開く権利とも)。
ちなみに三河軍団は武田信玄に三方原で突き崩され、関ヶ原で島津に突破され、大坂夏の陣で真田に突破されましたね。
いちか
2018/04/30 14:12:15
|ω・`)やぁ。
諦めてはいけない・・。
願えば叶う・・。
って言葉・・家康が言えば・・信じられますよ(○ゝω・)b⌒☆NE!
良い世の中を作ってくれる人物がこの世にあらわれると良いんだけど(○ゝω・)b⌒☆NE!