ごま塩ニシン

夜霧の巷(22)

自作小説

 上林が三人と飲み会をして1週間後、事態は思わぬ方向に動いたのであった。上林がキッチンで焼き飯を食べていると外出から戻った木崎龍平が声をかけてきた。
「よかった。相談したいことがあるんだ。」
「何が。例の手帳のことか。何度も言っただろう。酔っぱらって、俺が、なにか了解したようなことを言ったかもしれないが、あの話はなかったことにしてくれと、何回も言ったじゃないか。5万円も払えるか。馬鹿らしい。それに、あの手帳を新垣内という人から返してもらいたい。君に何度も言ってるじゃないか。」
「まあ、そう大きな声で怒るなよ。今日はさ。いい話を提案したいんだ。というのは、あの新垣内という先生からの伝言なのだが、あの手帳を30万円で譲ってくれないかと言われているんだよ。」
 木崎は食事をしている上林の傍へ寄ってきて、ニヤニヤしている。
「いきなり売ってくれと言われても。以前は金をよこせと言っていながら、今度は逆に売ってくれか。訳が分からんな。あれが、それだけの値打ちがある代物というのか。一体、君らは何を企んでいるんだ。」
「まあ、そう怒るなよ。なんで、あんな手帳に、30万という大金で買いたいというほどの値打ちがあるのか、俺にはわからん。新垣内先生に聞いても、素人は知らない方がいい。素人には分からない世界だ。プロの手にかからないと価値が出てこないということなのさ。だからさ、どうせ、君だって、どこかで拾ってきたものなのだろう。それを30万円で売ったって、損はないだろう。ただし、先生が言うには、あの手帳は上林さんから譲ってもらったことについては秘密にしておくから、君も新垣内さんに売ったということも秘密にしおいてもらいたい。これが売買条件の鉄則で、もし、約束を破ったら、それなりの責任を負ってもらうということなのだよ。」
「木崎さん。あんたの話はよく飛ぶから、金にまつわる話なら現金を目の前にもってきてからにしてくれない。俺は今晩、夜勤になっているから、横浜から神戸まで直行しなければならないのだ。まあ、今月いっぱいで今の仕事が終わりになるから、金になる話なら興味はあるが、口先だけなら御免だね。」
「分かった。木崎さんが神戸から帰る途中で連絡くれよ。そうしたら到着次第に間に合うように、金の方は揃えておくから。約束する。」
 両手を食堂のテーブルについて、真剣な顔で木崎龍平は上林を見つめた。
「君がそこまで言うなら、それでもいいよ。」
 上林は内心、損はしないと判断していた。30万円あれば、あの手提げ鞄に入っていた現金を返却できるので警察に届け出れば済むことだと上林は勝手な解釈をしていた。だが、思わぬところからボロが出るというか、これによって氷結していた事件の糸口が融解し始めることになるのである。