脳活日誌1100号
今日は晴天なり。
日差しがキツイので外出にはサングラス必携である。大陸からの高気圧は空気がさらっとしている。蒸し暑さがない。これがいい。話題がないので日記の内容に最近困っている。テーマがなくなると天気を書くことになるが、これもはっきり言って、飽きてくる。雨とか晴れとか、暑いとか寒いとか、扇風機やクーラーをいれたとか日常の雑事を書き出すと、気分は楽だが、あんまり考えを捩じらないから脳活の刺激にならない。頭というのは考えすぎてもいけないが、のんびりし過ぎてもよくない。
お金があって、苦労することがないとボケやすい。そうかといって悩み事ばかりだと鬱になったりするので何事もほどほどに対処するのが一番である。ところが、このホドホドというものほど簡単なようで難しいものはない。たとえば、両手を挙げて片足立ちが何秒間できるか?すぐに左右どちらかに傾いてしまう。こうしたものなのである。簡単なものほど逆に言えば、難題なのである。やっと、理屈らしくなってきた。屁理屈も頭の訓練にはいいものである。だが、屋上屋の屁理屈は思考の無駄である。あったものを平気でなかったと断定する厚顔無恥が横行しているが、これは理屈というより国民を軽視している横柄さにある。国民も随分と馬鹿にされたものだ。
期待していることが予想通りに運ばない。この憂いも深刻である。人には必ず期待するものがある。好意を寄せている人に会えたとか、声をかけられたとか。失敗したと思ったのに逆に褒められたとか。うまく難を逃れたとか。上司に指摘される前に事前に気づいて修正できたとか。日常生活では些末なことでも、内心ニンマリする出来事は出てくるものである。これ、一人笑いの楽しみである。