脳活日誌1119号
老醜が出てきたか。
最近、厚かましくなった。うるさくなった。よく似たことを何度も言う。なかなか諦めない。ぐずぐずしている。こうした傾向は老いの醜さだろう。例えば、赤ちゃんの頬っぺたは、柔らかい。つきたての餅である。この皮膚の表面が時間とともにカチカチになっていく。もう、2週間経過すれば、包丁で餅を切るのも大変である。これと似た現象かもしれない。
遠因は何事も死ぬまで諦めてはならないという信条からきているのかもしれない。三つ子の魂百までと昔から言われている。性格というのは、一度染まってしまうと、脱色できない。汚れと一緒だ。シミとして残る。これを隠すのが、お化粧である。上塗りして糊塗する。年とともに糊塗したものが剥げていく。残ってくるのが、最初に染み付いた原石の性癖である。三つ子の魂だ。
このあたりから論法が小うるさくなっていく。ほどほどで中止します。書き出したら、言い出したら尽きないからだ。深層心理として満たされないものがあるのかもしれない。赤ん坊の時に十分に栄養が満たされなかった。戦時中だったから、今のように母乳がだめなら、ミルクがある時代ではなかった。遠因が、このあたりに起因しているとすれば、本人には自覚症状がないことになる。無意識のうちに潜在してしまったということになる。個性の基礎というのは、どのように生成されていくのかという科学的な解明はされていない。どこで身についたシミなのか。未解明である。だから、自分とは何かと問えば、未知なる自分への探求ということになる。つまり、克明に自分で自分を解明していくしかないようである。