ごま塩ニシン

脳活日誌1161号

日記

   今日はご先祖の施餓鬼。
 例年、我が家の所属するお寺では8月1日に施餓鬼行事が行われる。この行事はお寺によって、宗旨によって様々であるが、朝の8時に受付が始まって、暑い中、7人もの僧侶の読経で、ご先祖の供養が順番に行われていく。塔婆をもらい、墓に供えて、今年の行事も無事に終了した。家に帰ったら、汗だくであった。まあ、元気に参詣できただけでも、合格だろう。何時まで出かけられるか、来年のことは不明である。毎年の日記に同じことを書き続けるのだろう。日々無事、ここに命あり。

 8月はいろいろな行事の多い月だ。お盆の行事と墓参り。親戚が訪ねてくることもあるが、今年は孫から何の連絡もない。孫と言っても、私より背も高くなったので、威圧されるばかりに大きくなった。もう、友達同士で遊ぶのに忙しのかもしれない。施設に入っている義弟の見舞いにもいかなくてはならない。が、かくも暑い日々が続いているので、出かけるのにも体力がいる。それで躊躇しているのである。老化するということは行動力の衰えでもある。行動半径が小さくなってくる。これも不思議な現象である。その内に小さな病室で寝たきりになるかもしれない。

 プールなんてものには行きたいという気にもならない。かき氷も食べてみたいが、もう何年も食べていない。イレギュラーな生活ができなくなってきている。若い頃は冒険的に出かけようという気が起こったが、こうしたことは皆目なくなった。背が縮むように生活の空間が縮小してきている。バカ騒ぎはできない。若者は騒ぎまわっていくらの世界だろう。ワイワイ言えるエネルギー、これが大切なり。